20151203
出典:いらすとや

↑頭のなかで思い描く理想はこうなのに…! と思う人向け。


諦めが肝心だとか、諦めることも時には必要だとか、世の中には色々言ってる人達がいるのですが、じゃあ実際に何でこんなこと言うのかってことの整理です。私の中でもちょっと踏ん切りがついたことが最近あったのでメモ。


■諦めがつかないまま、何でもかんでも自分でやろうとする不味さ

コレの何がダメかって、忙しすぎるし掘り下げる時間も無いから、戦略を立てられないんですね。戦略の無い行動はたくさんの無理や無駄が発生する。
するとまぁ…翻弄される。
何かやることなすことが、無駄に思えて、努力の源が消えた時に辛い気持ちになってしまう。


■しっかりと分析する

人間の時間は等しく24時間でありますから、大体一人の活動には限界があります。
睡眠や食事など必要最低限の時間を削ると17時間くらい。

仕事してるとか学生だとかは置いといて、人間一人に与えられた活動時間は17時間くらいです。たったの17時間。

今抱えている問題は、たった17時間の中でどうやって解決するのか。これを焦点にあてます。


■仕事の技術を例に

忙しい仕事の合間に何か技術を習得したいと考えます。
その勉強時間は1日に1時間しかとれないとします。

用途としてはプロレベルに通用する、自分の主軸となる武器にしようと考えてます。
諸説ありますが習熟に要する時間はおよそ1万時間とされています。
とすると、1万日かかります。簡単に考えると、27年かかります。

次にその習得したい技術と自分が目的としている習得期間とを照らし合わせます。
27年かかるのに対して3年で考えていたのなら、3年で取得するには何時間必要か計算。

また、その技術に年齢が関係しそうかも確認します。
需要の見通しも各分野の情報を取得して分析します。

それら検討してみて、再び今習得しようとしていることにフォーカスします。
この時、選択肢が生まれてきます。それは、

・自分以外に既に習得してる人にやってもらう
・もっと時間をとれるように計画立てたり、会社に相談する
・自分にとってもう少し習熟が環境的相性的に考えて容易な技術を考える
・今のままで別に問題ないので27年後に向けて頑張る

こんな感じに。



■周りの例

私は大した力量も無いグラフィックデザイナーなのですが、色々な人達の進捗を何年も見てるとどうしたって開きは見えてきます。

・仕事でデザインして、家でもデザインしてる人。
・仕事の時間だけデザインしてる人。

前者はやっぱり後者に比べて、年々考える幅も作業の速さや上手さも違ってきています。
でも後者の人も仕事外で習得した事に関しては前者の人よりも上手くなっていました。


■自分の例

私は入社時点では最底辺の技術力でした。
数年経つと、自然と周囲よりも技術力は上がってました。

やったことと言えば、単に他の人より遅れてた部分を生活時間全部を注いだだけでした。
自分の技術力の底辺さは自覚していたので会社でも家でも寝食以外は全てグラフィックデザインのためのインプット&アウトプットに注ぎ込んでました。

具体的には
・トレス
・模写
・模倣
・創作

これの反復。
今にしてみれば根性論で進んでしまってたのですが、自分の中で正しいと思ってた技術習得の方法はそれなりに運良く当たってたみたいで、割と効率的に技術習得できてました。


2例で何がいいたいかと言うと、かけた時間は「それなりに」嘘はつかないということ。何故「それなり」なのかは後述します。 


■本題:良い意味で諦める

私は気質としては本当に「何でもかんでも自分でやらないと気がすまない」質なのでこれが非常にストレスでした。それはどこかに「今までなんとか習得出来たものがあるんだから、別のこともなんとかなるのでは」という思い込み。

というか理論的には実際なんとか出来るっぽいんですけど、じゃあ何でストレスになったかといえば

「目的地までの距離がわからない」

単純にこれでした。

そして前述した、習得に有する時間換算をしてみて、自分が習得してきた技術なども振り返ってみて、トータルバランスで考えてみた時に「あ、これは諦めて他の出来る人にやってもらった方が早いや」とか「今からじゃ間に合わないから、もっとこれまで習得してきたことの延長で効率よく能力を伸ばそう」となった次第です。


■出来ないことを出来るようにしたいのならば、明確な指針立てを。

少なくとも今出来ないと思ってることが1日や1週間で出来るわけもなく、出来ても付け焼き刃的なのが続きます。

出来ないことの分野を、全く専門外のこととします。ゼロからスタート。

私的見解ではございますので信ぴょう性はありませんが。
1万時間と言わずとも、やっぱりそれなりに小慣れてくるには2000時間は必要なんじゃないかと感じてます。

毎日1時間だと2000日間。うーん気が長い。
毎日2時間なら1000日間
毎日3時間なら666日間
毎日4時間なら500日間
毎日5時間なら400日間
毎日6時間なら333日間
毎日7時間なら285日間
毎日8時間なら250日間
毎日9時間なら222日間
毎日10時間なら200日間

で、これだと気が遠くなるので、次に「それなりに全容を掴めるようになる」
これだと200時間ほどと思います。

毎日1時間なら200日間。
毎日2時間なら100日間
毎日3時間なら66日間
毎日4時間なら50日間
毎日5時間なら40日間
毎日6時間なら33日間
毎日7時間なら28日間
毎日8時間なら25日間
毎日9時間なら22日間
毎日10時間なら20日間

実際この時点で既に専門外の人に対してはそれなりに説明が効くような能力になっているはずです。

ちなみにここから「良い師匠の下につく」「良い本に出会う」「良い環境を手に入れる」など、運が味方をすることによって時間を短縮できたりします。逆も然り。
※前述した「かけた時間は『それなりに』嘘はつかない」というのはここにつながってます。 

それで、小慣れるという付け焼き刃でも場所によっては十分な力を発揮するので、ひとまず2000時間を突破する事を目標にするところから始めるのが良いかなと自分の中では思ってます。


■理論値だけの話

ちなみに1万時間の理論に乗っ取ると、子供時代から一貫して何かの習得をしてきた子というのは20歳時点で既に一つの分野を習得している可能性が大きいです。そのためには家族に恵まれたり所得に恵まれたりなどなど、あらゆる運が必要ではありますが。運も実力の内。

これはコミュニケーション能力とかマネジメント能力とかも基本的に原理は変わらないと思います。技術習得が目に見えて分かりやすい、というだけのものであるだけでして。コミュ力高い親の下で育てば子もそれなりにコミュ力は自然と学ぶという理想値。


■理論的に習得し、理論的に諦める。

人生の時間は20歳から考えたとしても平均寿命80歳、天寿をまっとうすると考えた場合を想定すると、活動時間としては1日17時間で全部で24万8200時間です。

また、20歳までにも何かしらそれなりに「全容を掴んでる」「小慣れている」「習得している」要素があると思います。

これら自分のステータスを明確に分析し
・何を習得することが最も効率的であるか
・どんな効率化を与えてくれる環境や師や書など手に入れられる(手に入れてる)か

なんてことを整理してみると、自分にとって何を習得し、何を諦めるかっていうのが段々見えてくるのかも。

それで、いい意味で諦めるというのは、習得期間の目安と仕事だった場合は市場推移とか人口とかを見て総合的に判断基準とする。趣味だったら単純に目標点にする。


■おわりに

なんてことを考えておくと、一つ人生の指針がわかりやすく作れるのではないかなーと感じる次第でありました。良い意味で選択と集中をかけていって、足踏みする時間を減らしていきたいものです。



最近ちょっとずつ読んでる本。既に8年前の本ですが今のネットの個のあり方、ネット世界の構造について的確に言い当てられてます。スマホ登場以前の話とは思えないほど。是非是非。

それから今回例として挙げました1万時間を経てプロになるという話に関連するのですが、この本では羽生善治さんが唱えた「学習の高速道路の渋滞」を例に出し、ネットによりあらゆる人がその高速道路渋滞にさしかかると語られています。

これは、皆がそれなりに学習プロセスを理解し、効率的な学習を手にしたとしても、必ず先が詰まってしまうということ。その渋滞をうまく飛び抜けてプロになるのか、それとも一般道に降りて別の道を更に探すのか、というお話。

1万時間の先にある、この「渋滞」というのも頭の隅にとどめておきながら、より戦略的に行動していくと良いのかなと思います。

後々この本に関してはあらためてレポ書きたいと思います。