諦めが肝心だとか、諦めることも時には必要だとか、世の中には色々言ってる人達がいるのですが、じゃあ実際に何でこんなこと言うのかってことの整理です。私の中でもちょっと踏ん切りがついたことが最近あったのでメモ。
■諦めがつかないまま、何でもかんでも自分でやろうとする不味さ
コレの何がダメかって、忙しすぎるし掘り下げる時間も無いから、戦略を立てられないんですね。戦略の無い行動はたくさんの無理や無駄が発生する。
するとまぁ…翻弄される。
何かやることなすことが、無駄に思えて、努力の源が消えた時に辛い気持ちになってしまう。
■しっかりと分析する
人間の時間は等しく24時間でありますから、大体一人の活動には限界があります。
睡眠や食事など必要最低限の時間を削ると17時間くらい。
仕事してるとか学生だとかは置いといて、人間一人に与えられた活動時間は17時間くらいです。たったの17時間。
今抱えている問題は、たった17時間の中でどうやって解決するのか。これを焦点にあてます。
■仕事の技術を例に
忙しい仕事の合間に何か技術を習得したいと考えます。
その勉強時間は1日に1時間しかとれないとします。
用途としてはプロレベルに通用する、自分の主軸となる武器にしようと考えてます。
諸説ありますが習熟に要する時間はおよそ1万時間とされています。
とすると、1万日かかります。簡単に考えると、27年かかります。
次にその習得したい技術と自分が目的としている習得期間とを照らし合わせます。
27年かかるのに対して3年で考えていたのなら、3年で取得するには何時間必要か計算。
また、その技術に年齢が関係しそうかも確認します。
需要の見通しも各分野の情報を取得して分析します。
それら検討してみて、再び今習得しようとしていることにフォーカスします。
この時、選択肢が生まれてきます。それは、
・自分以外に既に習得してる人にやってもらう
・もっと時間をとれるように計画立てたり、会社に相談する
・自分にとってもう少し習熟が環境的相性的に考えて容易な技術を考える
・今のままで別に問題ないので27年後に向けて頑張る
こんな感じに。
■周りの例
私は大した力量も無いグラフィックデザイナーなのですが、色々な人達の進捗を何年も見てるとどうしたって開きは見えてきます。
・仕事でデザインして、家でもデザインしてる人。
・仕事の時間だけデザインしてる人。
前者はやっぱり後者に比べて、年々考える幅も作業の速さや上手さも違ってきています。
でも後者の人も仕事外で習得した事に関しては前者の人よりも上手くなっていました。
■自分の例
私は入社時点では最底辺の技術力でした。
数年経つと、自然と周囲よりも技術力は上がってました。
やったことと言えば、単に他の人より遅れてた部分を生活時間全部を注いだだけでした。
自分の技術力の底辺さは自覚していたので会社でも家でも寝食以外は全てグラフィックデザインのためのインプット&アウトプットに注ぎ込んでました。
具体的には
・トレス
・模写
・模倣
・創作
これの反復。
今にしてみれば根性論で進んでしまってたのですが、自分の中で正しいと思ってた技術習得の方法はそれなりに運良く当たってたみたいで、割と効率的に技術習得できてました。
2例で何がいいたいかと言うと、かけた時間は「それなりに」嘘はつかないということ。何故「それなり」なのかは後述します。
2例で何がいいたいかと言うと、かけた時間は「それなりに」嘘はつかないということ。何故「それなり」なのかは後述します。
■本題:良い意味で諦める
私は気質としては本当に「何でもかんでも自分でやらないと気がすまない」質なのでこれが非常にストレスでした。それはどこかに「今までなんとか習得出来たものがあるんだから、別のこともなんとかなるのでは」という思い込み。
というか理論的には実際なんとか出来るっぽいんですけど、じゃあ何でストレスになったかといえば
「目的地までの距離がわからない」
単純にこれでした。
そして前述した、習得に有する時間換算をしてみて、自分が習得してきた技術なども振り返ってみて、トータルバランスで考えてみた時に「あ、これは諦めて他の出来る人にやってもらった方が早いや」とか「今からじゃ間に合わないから、もっとこれまで習得してきたことの延長で効率よく能力を伸ばそう」となった次第です。
■出来ないことを出来るようにしたいのならば、明確な指針立てを。
少なくとも今出来ないと思ってることが1日や1週間で出来るわけもなく、出来ても付け焼き刃的なのが続きます。
出来ないことの分野を、全く専門外のこととします。ゼロからスタート。
私的見解ではございますので信ぴょう性はありませんが。
1万時間と言わずとも、やっぱりそれなりに小慣れてくるには2000時間は必要なんじゃないかと感じてます。
毎日1時間だと2000日間。うーん気が長い。
毎日2時間なら1000日間
毎日3時間なら666日間
毎日4時間なら500日間
毎日5時間なら400日間
毎日6時間なら333日間
毎日7時間なら285日間
毎日8時間なら250日間
毎日9時間なら222日間
毎日10時間なら200日間
で、これだと気が遠くなるので、次に「それなりに全容を掴めるようになる」
これだと200時間ほどと思います。
毎日1時間なら200日間。
毎日2時間なら100日間
毎日3時間なら66日間
毎日4時間なら50日間
毎日5時間なら40日間
毎日6時間なら33日間
毎日7時間なら28日間
毎日8時間なら25日間
毎日9時間なら22日間
毎日10時間なら20日間
実際この時点で既に専門外の人に対してはそれなりに説明が効くような能力になっているはずです。
ちなみにここから「良い師匠の下につく」「良い本に出会う」「良い環境を手に入れる」など、運が味方をすることによって時間を短縮できたりします。逆も然り。
※前述した「かけた時間は『それなりに』嘘はつかない」というのはここにつながってます。
※前述した「かけた時間は『それなりに』嘘はつかない」というのはここにつながってます。
それで、小慣れるという付け焼き刃でも場所によっては十分な力を発揮するので、ひとまず2000時間を突破する事を目標にするところから始めるのが良いかなと自分の中では思ってます。
■理論値だけの話
ちなみに1万時間の理論に乗っ取ると、子供時代から一貫して何かの習得をしてきた子というのは20歳時点で既に一つの分野を習得している可能性が大きいです。そのためには家族に恵まれたり所得に恵まれたりなどなど、あらゆる運が必要ではありますが。運も実力の内。
これはコミュニケーション能力とかマネジメント能力とかも基本的に原理は変わらないと思います。技術習得が目に見えて分かりやすい、というだけのものであるだけでして。コミュ力高い親の下で育てば子もそれなりにコミュ力は自然と学ぶという理想値。
■理論的に習得し、理論的に諦める。
人生の時間は20歳から考えたとしても平均寿命80歳、天寿をまっとうすると考えた場合を想定すると、活動時間としては1日17時間で全部で24万8200時間です。
また、20歳までにも何かしらそれなりに「全容を掴んでる」「小慣れている」「習得している」要素があると思います。
これら自分のステータスを明確に分析し
・何を習得することが最も効率的であるか
・どんな効率化を与えてくれる環境や師や書など手に入れられる(手に入れてる)か
なんてことを整理してみると、自分にとって何を習得し、何を諦めるかっていうのが段々見えてくるのかも。
それで、いい意味で諦めるというのは、習得期間の目安と仕事だった場合は市場推移とか人口とかを見て総合的に判断基準とする。趣味だったら単純に目標点にする。
■おわりに
なんてことを考えておくと、一つ人生の指針がわかりやすく作れるのではないかなーと感じる次第でありました。良い意味で選択と集中をかけていって、足踏みする時間を減らしていきたいものです。
最近ちょっとずつ読んでる本。既に8年前の本ですが今のネットの個のあり方、ネット世界の構造について的確に言い当てられてます。スマホ登場以前の話とは思えないほど。是非是非。
それから今回例として挙げました1万時間を経てプロになるという話に関連するのですが、この本では羽生善治さんが唱えた「学習の高速道路の渋滞」を例に出し、ネットによりあらゆる人がその高速道路渋滞にさしかかると語られています。
これは、皆がそれなりに学習プロセスを理解し、効率的な学習を手にしたとしても、必ず先が詰まってしまうということ。その渋滞をうまく飛び抜けてプロになるのか、それとも一般道に降りて別の道を更に探すのか、というお話。
1万時間の先にある、この「渋滞」というのも頭の隅にとどめておきながら、より戦略的に行動していくと良いのかなと思います。
後々この本に関してはあらためてレポ書きたいと思います。
コメント
コメント一覧 (12)
今死にたくてたまりません。死にたいけど死ぬの怖いです。なんで生まれてきたんだろう。
コミュ障がプライド捨てたら楽になった話、何回も読みました。自分にあてはまっているなぁと思いました。人の目気にする、拒絶されるのが怖い、恥をかきたくない、完璧主義、、、
改善する方法はここにたくさん書いてあるのに実行しない私は正真正銘のくずです。
このまま、なにも改善しないままずっと同じことを繰り返し、悩み、誰にも打ち明けられず、打ち明ける勇気も出さず、つまらない人生を送って死ぬんだな。
ただのかまってちゃんですね。
不愉快だし、困りますね。
ほんとすみません。
書き込みながらも、書き込んだこと自体クズに思えてしかたありません。消えたい。
こんなの、周りに知られたらみんなひくだろうな。でも、理解してほしい。めんどくさいな自分。大嫌いだ。
ハードルを上げ過ぎると、そんなふうにとてもしんどく感じてしまって何も手がつけられなくなります。
毎朝太陽の光を浴びることを習慣にしてみたり、鏡の前ではとりあえず笑顔を心がけるとか
そういうなんでもない、ほんの少しだけ頑張れば出来るような事から少しずつ毎日習慣化していってみて、とりあえず自分は何かを出来るんだ、という自信をつけていってみるのが良いとおもいます。
自信をつけないまま大きな物事に取り組もうとしても、心が折れてかえってダメージを受けてしまいますので。
自分からコメントしたのに、実際に返事をいただくとなんかすごく恥ずかしいことをしてしまった気持ちになりました。
そういう低い目標もやってみたんですけど、すぐにむなしくなるんです。なにしてるんだ、なんの意味があるんだ、他にやるべきことがあるだろ、って。もしくはわざと立てた目標をやらずにほらやっぱりって。
どうしようもないです。
今カウンセリングに行ってるんです。でも、カウンセラーの先生が私を変えてくれると思っちゃってる時点でダメだし、この先生ほんとに私を変えてくれるの?!ってなんにも信用してない。しかも先生の前ですら、どう思われるかを気にしてしまいます。
自分が考えを変えて進まなくちゃいけないのはわかっているのに。
まじくずさんは、ちゃんと奥さんという支えがあっていいですよね。
一旦横に置いといた方が良いかもしれません。
自分の考えのせいで、今自分は難しい局面に立たされてしまってるのですから。
そこにこだわってしまうと、それこそ出口が見えなくなってしまいます。
貴方だけでなく、多くの人は自分オリジナルにこだわるから苦しくなっていくんです。
そんなに頑張らなくても、今の私達が生きる世には
少し手を伸ばせば沢山の先人たちが残してくれた叡智であふれてます。
それを拝借する、巨人の肩の上に騙されたつもりで乗ってみる。
結構それだけでうまくいったりするものなんですが
なかなかどうして、皆「自分らしさ」「本当の自分」「本当にやりたいこと」
などの言葉に踊らされてしまいます。
大事なことなのですが
多くの人は「必要性」に応じてしか行動出来ないようです。
元気なあの子も、勤勉なあの子も、必要性があるからそうしてるだけ。
それは家庭環境や生活環境、普段接してる世界や周りの友人とか人間関係など
様々な要素が起因しているようで。
例えばダンボール中学生の芸人さんなんて、子供時代に極貧生活を送ったから
その時に得た、ものすごい怒りや悲しみや虚無感などを推進剤として成功への花道を辿ったのだとおもいます。
それは極貧という、耐え難い経験から「絶対にあの頃になんて戻るものか」という
強い精神的環境構築がされたのでしょう。
大きく飛ぶ人間はそのために、準備として長くしゃがみ込むのです。
今のままならない状況というのは生涯続くものじゃないですし
きっと今の状況は糧になる時が来ます。
沢山傷ついて沢山足踏みを余儀なくされた人は、その時たくさんのことを学びます。
今は理解しようとするのじゃなく、こんな時は誰にでもやってくるんだ
と自分を応援してあげるのが良いとおもいます。
その上で良いと言われてることに少しずつ取り組んでいかれるのが良いのではないでしょうか。
ままならないのなら、せめてやれることだけやっちゃう。より勢い良く飛び出すために。
尚、私が結婚したのは運ですが
彼女を作るきっかけについては
当時何をやってもダメの友達も居ないうつのコミュ障糞ゴミ人間だった私でしたが
「目標も何も無いならパートナー作ればきっと変わるよ」という言葉に騙されたつもりで行動しました。
思い返しても二度とやりたくないようなことを沢山やって、ようやく今の奥さんに出会えました。
結局私を救ったのは、私の考えではありませんでした。
私も、今でも日々自分の常識を疑い続け、自分の安易な考えに凝り固まっていないか勉強中です。
それって、自分あるいはその言葉を信じて、プライドを捨てて頑張れたってことでしょう?
私はそれができない。
一番私に必要なことなのに。
そういう反応になりますよね。
見捨てないでください!って言いたいけど、そんなこと言い出したら、もう厄介な人物ですね。
いつか、すべての人から相手にされなくなるんじゃないかと怯えながら毎日を過ごしています。
だーかーらー、行動しろよ!って言いたくなるかもしれませんが、料理教室やジムに挑戦しましたが、ぜんぜん自信にはつながらず。
もっと簡単なのにしたら?と言われそうですが、決めたことが続いた試しはありません。
そんな意志が弱すぎる自分に嫌気がさします。
でも、だからダメだと言ってると、今回のように「じゃぁ、勝手にしろよ」って言われるのもわかってるし、怖くてたまらない。
すみません。不快な人間で。
ここにコメントさせていただいたのも、何か変えてくれるかもしれないという他力本願な甘い考えでしました。
ここは相談室でないこともわかってるし、まじくずさんに不快な思いをさせてはいけないと思ったのですが、匿名だからこそ溜めていたものを吐けるかも。受け入れてもらえるのかなと思ってしまって。これも距離のとれないコミュ障的な考えですね。
やっぱり、素をだしたら、残念な人と相手にされないことが、わかりました。すごく辛かったです。
今までなら、少し相談してアドバイスをもらったら、「でも無理」と思っても相手に相手にしてもらうために、「実践します」とか言うてました。そして嘘をついたことで苦しんでました。
普通なら、普段なら、ここですみませんでした。でフェードアウトしないといけないと思いますが、ちょくちょくコメントしてもいいですか?内容は同じようなめんどくさいことになると思いますが。
うざいですか?うざいですよね、、
コメントしたことが気持ちに引っ掛かって、このブログが見れない気持ちになるのがいやです。
相談することと甘えることは別です。
貴方が私のことを羨み、同時に自身の事を蔑み、変えてくれることを望むのは、
私や周囲に対する甘えです。それは相談とは呼びません。
そして私は貴方を変えることは出来ません。
私でなくとも、変えることは出来ません。
私は貴方を助けることは出来ません。
貴方を助けるのは、貴方です。
人は一人で勝手に自分を助けるんですよ。
貴方が助かろうとするのであれば、私は助言くらいなら出来ます。
でも、貴方が心の底から自分の足で踏み出し変わろうとしないのであれば、
どんな叱咤激励も貴方には空虚で下らないものにしか聞こえないでしょう。
フェードアウトするかどうかは貴方が決めることです。
相談をまたするかどうかも貴方が決めることです。
何故わざわざ匿名にしてまで、顔色を伺うのですか。
それに、貴方がウザイかどうかなんて、いちいち私も周りも気に留めません。
私も周囲も、貴方にそこまでの興味はありません。
だから、私がどう思うかなんてどうでもいいのです。
貴方が自分の意志で正しいと思ったことを判断して行動してください。
めんどくさいコメントしてるのは重々承知なので、またこいつかよ~って思われたりいつか無視、拒絶されるのが怖くて。
甘えてるのも、自分は自分しか変えれないということもよくよくわかっています。
自分で決めたことは説得力がなくて、信用できません。
今も、低い目標からと思って遅刻せず仕事に行くってしてるけど、遅刻は今までしてないからこの目標意味ないよなって気持ちが占めてきました。
自信というものは自分を肯定しないとつかないので、
空元気でもウソでもいいから自信を持つことです。
自分の現状を受け入れることです。
それをしなければ、何も始まらないです。
出来ない出来ない言われても、私は貴方の親やカウンセラーではないので
甘やかして守ってあげることは出来ません。
恐らく貴方は自分の考えは正しいのだという承認が欲しいと思うのですが、
ごめんなさい、それを期待されておられるならちょっと宛が違うと思います。
どうしても自身が欲しいならとにかく本を読み、価値観を広げて下さい。
・愛着障害…こちらは自分の現状を把握するための逸品です。
・7つの習慣…こちらは自分の中に軸を作る、自信を作るための書です。
どちらも、私が大きく自分を変化させるために役立った本です。