20151111

出典:いらすとや


最近感じた自己調整の話。


■意識高い系の時

・よく知らない人に会いに行こう
・門外漢のイベントに参加しよう
・達成不可能そうな目標を掲げよう 出来るだけ遠くを見つめよう
・もっと沢山本読んでインプット&アウトプットだ! 勉強勉強! 


■意識低い系の時

・まぁ今日はブログ記事1行だけ書いたし書かないよりはマシだったろう
・本も1ページ読んだ。うんうんやらないより以下略
・今日は腕立て伏せ5回した 5回した!


■使い分け

なんかこう一昨年辺りから意識高いというワードは随分とネットで猛威を振るってたのですが、
何かしら動機を作るきっかけの一部としては悪く無いんじゃないかなーと思ったり。
でも行動に起こす部分も意識高いままでいると何も出来ない感が強い。

とにかく情報が煩雑化していたり、既存の価値観のノウハウが蓄積されてきたりとかで
年々求められる意識の高さは上がってる感じがします。

疲れる。


■意識高い行動を目指すと神経がすり減る

それも慣れだと言えばそれまでではあるのですが…。
すり減る神経を保護する存在が無いのに意識だけ高く保とうとするのは無理。

発散する趣味があるからすり減ったものが回復したり
発散し合える友達や家族が居るから回復したり

ゲームと同じで精神力は減ります。回復しないと減ります。
0になると動けなくなります。

よく、上場イケイケな企業の社長さんとかが、遊びも派手だったりするのは
派手に精神力使った分を別の部分で回復させようとしてるものなんだなと思ってます。
そして経済状況がよろしくなくなると、無理がたたって極端に鬱っぽくなったり
あるいはそれこそが自分の中での真実だと疑わず遊び続けて破綻しちゃう。


■意識低い系を使う

というわけで疲れた時に意識低い系が役立つ。
意識低い系の利点は、意識が低い事を「やる」って事でして。

0ではなく1をやってること。
マラソンと同じで立ち止まると、動けなくなっちゃうのです。
しかも止まり続けると筋力も落ちていくし、
止まったぶんを取り戻すために更に過剰な体力を使うことになるし。


■使い分け

しかし意識低い方もやりつづけるとそれが常態化するから
いざというときに体力貯めているはずなのに
いつの間にか歩くのが全力になってしまったりする。
この状態はあまり好ましくないので、
適度に走って適度に歩いてを繰り返せるといいのだなぁと思います。

管理者としてはこの個人の精神力部分に焦点当てられるようになると強そうかなと。


■いつでも心の片隅にこの考えを置いておくと

人間、内発的外発的様々な理由からある日突然走れなくなる日が来る。
そうした時に「あ、今は歩く時期なんだな」って思えてると随分気が楽に。
そういうの分かってない人が管理者とかにも結構居るですが
この辺自分の軸にしておけば、変に周りの意見に翻弄される機会も減ると思われます。



■最近思う点

これらは人それぞれに無意識に使い分けてるものだし別に今更感のある話。
とはいえそれを知っておかないと、自分の基準にだけ当てはめて苦しむ。
あとは一日の中でさえ、その波は幾度と無くやってくる。

それらを「知って」おくと、むやみに川の流れに抵抗せず
精神に要らぬ負荷をかけず、もう少し楽に生きやすくなるのかもしれませんです。

そんなことを最近ふと感じたのでした。
ともかく立ち止まるのは避けられればと。 



その男、意識高い系。DVD-BOX
伊藤歩
ポニーキャニオン
2015-09-16