会社によりけりだと思うので、あくまで一意見と思ってもらえれば。


■書き始め


周りを見渡すと、10年同じ会社に勤めている人っていうのは案外と少ないのだと感じます。
私は学校卒業時には絶対に3年は続けろって言われもので。
当時は全然意味分かってなかったし、というか就職難時代。
贅沢なんか出来ないからクビにでもならん限りは多分辞めないだろ、と思ってました。

それがまさか10年も働くことになるとは。

私が常に心がけていたのはレアキャラ演出的なものでして。
常に新しい事に周りよりは早く飛びついてみて、爆死してみるというのをやってました。
そのたびに、お前は地に足付いてないなぁとか馬鹿にされたもんでした。
お前みたいなのはどこに行ったって無理だと言われたもんでした。

私の人生は祖父の「10人中10人が正しいといったら、必ず違う側に立て」という教えに良くも悪くも縛られ、今も縛られてる感じがします。
そんな教えは私を中二病に導きましたし、孤独に導きましたし、会社での不思議マンにも結びつきましたし。

さてそんな不思議マンとしての自分を割と買ってくれる人が会社に居たおかげでなんとかなってました。
その人には時に裏切られ激しい憎悪もいだきましたし。楽しい出来事にも沢山巻き込まれました。

…。

あ、別にこの人が死んだとかそういう話じゃないです。

私の人生は多分奥さんと過ごす数年で大きく変えてもらったと思ってます。
語れば惚気にしかならないので割愛します。

一方で振り替えてみて同じ会社で過ごす10年も私を大きく変えてくれた気がします。
私の人生の別世界軸は無いので、私が1ヶ月で会社を辞めたり、3年きっかりで辞めたりの場合の人生を知るよしもありません。



私の10年の仕事人生なんて振り返ってみると。
正直恥ずかしいこと見苦しいことだらけでした。
常に誰かの手を煩わせて頼りっぱなしで自分ではあんまり大したこともしておらず。
とりあえず新しい事にはばんばん顔出していくくらいで。
仕事の手も大した早くないし、クオリティも大した高くない。

そんなダメダメなんですが割となんとかやってます。
これは過去に私が悩み、打ちひしがれていた事に対する、アンサーとしての手紙。
10年続けてみてぼんやりと考えてみた、アンサーとしての手紙。


■10年前へ宛てて

私を縛った「特別であれ」という教えは多分そこまでは間違っていなかった、と思う。
ただ、それについて足踏みする時に、ものすごい恐怖が押し寄せる。
自分が何故他人とここまで分かり合えないのか。
どうして他人と同じ視点に立てないのか。
どうして普通の感性を理解出来ないのか。
不安で不安で押しつぶされそうになる。
どうして自分を普通に育ててくれなかったのか憎悪ばかりが脳内を駆け巡る。

でも多分それは私の特質なのだ。
それに、閉じっぱなしの自分の世界に引きこもっているから分からないのだろうけど。
世の中に自分と同じようなことを考えている人間は存外多い。
だから普通じゃないことにそこまで囚われる必要は無いのだ。
いくら憎悪した所で何かを変えようと毎日一歩でも進んでる人間にはとても敵わないのだ。

そして自分というのは表面をいくら塗り替えても本質部分は全く変わらない。
10年経っても私の軸は何も変わってない。
楽しいと感じる感性も。
辛いと感じる感性も。
興味の対象も。

という人生論は置いといて。

10年仕事をしていると。
続けた人にしか見えないこと、続けたからこそ見えなくなることがある。
でも大事なのは別にどっちも正解じゃないということ。
自分が10年続いたことに何の誇りも持つものじゃないと思うし。
続かなかった人をけなす必要も微塵も無いし。

ただ、10年続けると、自分にとって何でもないと思っていることに結構な価値が生まれてくる。
正直才能もクソもないけども、無いなりのプロとしてのやり方があることも分かった。
10年かけてようやく少しだけ何か掴んだ感じがする。

自分の信じた部分に嘘をついた時は、激しい停滞期に陥った。
社会人になるまでにある程度培った自分の軸というのはもう立派な軸らしい。
これを裏切ると、心が悲鳴を上げ、活動停止を要求する。
前にも後ろにいくでもなく。
とどまりながら、地面に埋まっていく。
心の要求にある程度正直であった方が良い。

あと、正しさを他人に求め過ぎないほうが良い。
自分の中の正しさなんて、所詮自分にとってだけ。
世の中のままならない動きに正しさを求めたって何にもならない。
正しいと思うなら自分から行動しはじめること以外に道はない。全くもって無い。

でも、周りはきっと惑わしてくる。勧誘してくる。
そうして自分で行動を起こさない人達だけがたむろして、渦を作る。
ヘドロみたいな粘ついた、一度飲み込まれると脱出困難な渦を作る。
くれぐれも何もしない人達に巻き込まれない事。
そして何もしない人にならない事。

驚いたことに私生活仕事問わず、この手の話は溢れかえっている。
でもそれは環境が生み出す、発生源不明なものだったりする。
人間の本能としての堕落部分。
自分にもある怠けたい気持ち。
そういうのの集合体。
常に、警戒を。


最後に、10年レアキャラ演出をやってみたけどコレに関して思うこと。
正直つらい。大体恥をかく。
10年恥をかき続けて最近感じたことがあるのだけど。
どうやらこの恥をかくというやつは、あまり皆率先したがらないことらしい。
そしてこの「恥」が新しいことへの興味を年々萎縮させるらしい。
一人、また一人と。
新しいことへの抵抗感を強くし、その場にとどまりはじめる。
年齢相応のプライドを手にしてしまう。
そして、古いセンスに落ち着いてゆく。
自分の更新を辞めてしまう。
多分私はその恐ろしさを一番知っている。
センスを失うというのは、私が選んだ道の中で恥をかくよりも何倍も恐ろしい事だ。

辛いと思うけど、何かを作る道を選んでしまった以上。
少なくとも働き続ける限りは、恥をかき続ける以外に道は無いのかもしれない。
でも、私はそんな人生の先輩にあたるような人達にも沢山出会ってみたけど。
彼らはずっと生き生きしてた。
なのでこれからの人生も喜んで恥を受け入れよう。
自分をレアキャラに育てるのだ。




■おわりに

という感じで1年に一回とかのペースで過去の自分宛に学んできたことを渡すようにしていくと、いちいち脳内が整理されて良いと思いました。

時間かけすぎたのでまとまりなく終わるのです。
 

仕事は楽しいかね?
デイル・ドーテン
きこ書房
2015-01-20