色々と見て回って感じたことをつらつらと。
単に自分が考えていることに潜り込んで仮説で仮説を遊ばせているだけなので特に得られる知見は無いと思われます。
■メディアとハロウィン
これから恐らくバッシングが大きくなっていくだろうという話がちらほら。
理由としては、メディア主体のイベントではないから。
クリスマスとかお正月とかって、メディアは企業との協賛でうまいこと利益に結び付けてる。
バレンタインデーとかもそうだし。
他方、ハロウィンについては収益性がメディア側に特に無い。
このため考えられる戦略としては以下。
・ハロウィンをメディア側発信のイベントにするために、ハロウィンをバッシングする
主に叩くポイントとしては、秩序やモラルの無さとか、実店舗の被害とか、ゴミ問題とか。
メディアは基本的に経済効果並びに、メディア側への収益が確保出来ないものは叩く傾向?
例としては10年前くらいのオタクコンテンツ。
けいおん!あたりが皮切りになったのか現在ではオタクバッシングは個人間ではあったとしてもメディア的なバッシングはあまり日の目を見なくなった。(無いわけではない)
クールジャパン戦略にも加えられたり、まぁいわゆる手心が沢山加えられている。
そんな感じでハロウィンについて今後メディアが大きな利益を得られないのであれば徐々にバッシングの流れは強まっていくのかも。
そこらへん上手くつなげる団体なり企業なりが出てくると夏休み・お盆と、クリスマスまでの中間イベントとしてうまいこと日本の文化に定着しそうな感じはします。
というより経済効果は1100億円程度と言われてるみたいで、既にバレンタインデーを超えてる様子。リンク先の信用度は不明ですが。
若者の消費文化としては、恋人とのつながりよりも仲間との盛り上がりに向かってる感じでしょうか。
フェーズとしては文化定着させる動きをする団体にスポットライトが当たり、そうじゃない人達は暴徒という扱いがされていく?
端から見る分には面白いイベントなので上手い着地点が見つかれば良いですね感があります。
■日本人iPhone好き過ぎは何故について思ったこと
世界ではAndroidのシェアが依然として圧倒的みたいです。70%ほどがAndroid。
日本では五分五分みたいです。じわじわとiPhoneが数字を伸ばし続けてる様子。
周りのAndroid使いの人に聞いてみると「ホントはiPhoneが良かったけど高いし使いこなせなかったらもったいないしで、安いAndroidにした」
という感じでございました。
私はXperiaですが最初に選んだOSがAndroidだったので色々引っ越しめんどくさいから惰性でAndroid使ってます。
日本だとAndroid側端末はXperiaとGalaxyが辛うじて頭一つ抜きでた感じでしょうか。
何故にiPhoneが先に選択肢に上がるかといえば「皆使ってるから」とか。
女子高生の間なんかではAndroidはダサイとかオタクっぽいとかさえ言われる始末みたいです。
携帯電話の時代ではあまり考えられなかった事ですね。
携帯電話時代は写真の綺麗さとかキャリアとかが主戦場だった気がします。
この辺のノリで機能性や便利さを打ち出しているAndroidスマホメーカーが軒並み負けている印象。
キャリアも今は明確な違いが無くなってしまいましたし。
i-modeなんてうまい囲い込みだったんですけどね。
今はAppleStoreにすべて持って行かれてしまった。南無。
総合的に考えるとiPhoneが日本だけここまで主流になるのは
・金銭面
・皆が使ってる
この辺に焦点が定まりそうです。
機能とかは大した問題じゃない。
ちなみにAndroid側は最新のiPhoneのパフォーマンスに合わせようとすると値段が自然と跳ね上がっていく感じです。
なので端末の金額的にはほぼ互角になってしまうのですよね。
そうなるとあとは「皆が使ってるか」。
これがとても大きな選択基準となっていく。
■「みんながやってる」消費
ハロウィンを何故取り上げたかというとこちらにも関わっていく事柄でして。
「みんながやっている」
これが消費行動において重要でして。
そんなの昔からそうじゃん、っていうのはそうなので割愛。
集団(クラスタ)に帰属することで安心感を得るのは日本人だけの価値観ではなくある種動物的な本能であったりします。
しかし日本の消費を考えた時に、少し特異になってくるのが、信仰している宗教が特別存在しないこと。
宗教をベースにしたとき、物事の選択の基準はその宗教における最終的な正しさとかがベースになったり。
ある種、何かを選択する際の不安感を払拭する基準が、宗教が根底にある。
ところが私達ってそこまで偏重する基準が無く。
あえて有るなら「空気」「常識」そんな感じのもの。
根底が非常に不鮮明。
(源流にあるのは儒教とか朱子学とか言われてますけども)
基軸がなくて、ふらふらと足元が不安定だから、他所に比べてより
「みんながやっている」「有名なあの人が言ってる」っていうことに対する付加価値が大きくなるのではないかと感じます。
一時的な宗教的クラスタに所属することで、安心感を得るといいますか。
軸がないから自信がない。
自信がないから「皆がやってること」や「集団の意見」や「有名人」が強くなるし。
楽しそうだったり分かりやすいものに食いつきやすい。
それが分かって利用する集団や有名人が居るし、それになろうとする人も居る。
そしてその集団に対する分析をして製品を提供するのが今も昔も変わらないビジネス。
今だったらiPhoneがAndroid並のシェアで且つ端末が限られているので、そこに向けた製品開発がコスパが優れてると見なされやすい。
行き着く結果が他所と似たデータになるとしても、その源流にあるものは少し違う感じがするのでした。
そういう部分からマーケティングを掘り下げていくとちょっと面白いのかもしれませんです。
■コンテンツのライフサイクルについての備忘録
ギークの間での流行
↓
「みんながやってる」の発信源になりたい人が拾う
↓
その発信源を頼りにした人が拾う
↓
「みんながやってる」状態が出来上がり、更に消費が拡大する
↓
飽きるor文化として定着する
↓
徐々に着地点を見つけて、特定クラスタの恒例行事になる
文化として定着したら勝ち。
飽きられて消えそうになっても、消費拡大期に儲かってればまだなんとか。
文化として定着した段階では既に大きな団体や企業が信用を稼いでいる。
なので小さな団体がこの段階から参入するには別の信用を別フィールドから稼いできてないと難しい…かも。
あるいは文化として定着した段階で超低コスト化に成功したり、別フィールドとの組み合わせにより新しい価値が創造されたり。
みんなだいすきイノベーション。
ビッグプレイヤーが出揃って文化的着地点を見つけ始めたようなコンテンツは新しい勢力として乗り込むタイミングなのかもです。
iPhoneもPCと携帯電話がある程度世界的に定着したタイミングだったと思うので。
iPhone以前からスマホはありましたし。
タイミングと洗練されたプロダクトとジョブズのキャラクター性がガッチーンとハマったんでしょう。
■おわりに
最後まで仮説な妄言を読んでいただきましてありがとうございます。
たまに脳みそで漂っているどうでも良い事を吐き出さないと頭がパンクしてしまうのです。
考えるのは好きなのですが考えすぎてもロクなことにはならないと感じてます。
頭がモンモンとしてどうしようもないって人はなんでもいいので吐いて見ると良いのではーなんて感じました。
まとまりなくここで終わり。
日本と世界の宗教観についてはコチラ強くオススメ
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