20150811

出典:いらすとや


この記事を読んで「うおおぉぉぉ…」となっておりました。
読むと大体の人が「『どうする、俺?』じゃねえよ、39歳にもなって何でそんなことも決められないの?」というように感じると思います。

しかしながら、こうしたことに悩んでいる人は以外に多いんじゃないかと思ってます。私も数年前は結構悩んでました。でも、この悩みがどういう悩みなのかも分かってませんでした。単に自分の性格のせいだと思ってました。

以下、過保護と過干渉について私なりに調べてみたことのまとめです。

■過保護に対する間違った認識

 甘えを助長したり自立を妨げたりなどネガティブな印象がつきまとう「過保護」という単語ですが、過保護はそもそも子供が望んでいることに対してできるだけ応えてあげること、みたいです。話をしっかり聞いてあげるとか、辛い時に守ってあげるとか色々。


■過保護はむしろあったほうが良い

 人は誰かに認められたり守ってもらえてるとか思ったりすると、そこに対して自信を蓄えていったりする。そして自立しようとするとき、親に反抗する。普通は思春期にその徴候が現れる、のだとか。

思春期において反抗期が現れない子は、親にとっては一見良い子に見えるのだが、その時子は自分の立ち位置を見失っていたり、自分が分からなかったり、親や何かに依存してたりなどの傾向にある。

一般的?にはこれは間違った過保護のせいだとされ、過保護は悪い方向に捉えられがちではある。…のだけど、上記でも述べた通りに、過保護を経て子は自立へと向かう。

では良い過保護と悪い過保護があるのだろうか…? と思って調べるとどうにも違うみたい。

タイトルに挙げた「過干渉」。これと過保護についての峻別をしなければならなさそうです。


■つまるところ問題は過干渉

 過干渉って何かというと、子供の望んでいることに対して逐一ブレーキかけること。また、親自身が望む方向性に子の行動や気持ちを矯正すること。あれやりなさいこれやりなさい。やりたくもない塾や習い事に通わせたりなどなど。更に問題は親自身は大体の場合良かれと思ってこれをやっている。

これを一緒くたに過保護とくくってしまうのが問題なようです。そうして住み分けしていくと、実際に適切な過保護の元で育っている子は実はそこまで多いわけではないのでは…と感じる次第です。


■しかし教育課程において干渉も必要ではある

 では、過干渉にならないためには?

人は信頼している人の話をよく聞く。こうした良好な関係を気づけている時、干渉は上手くいきやすい。信頼は、話をよく聞いてもらえるとか望んでいることをしてあげるとか、そういったことから育まれる。
 
逆に信頼していない人の話はちょっとした干渉にも「拒否感・やらされている感」が強くなり、過干渉になりやすい。

しかし、「過」干渉が問題なのであって、人間の成長において干渉は必要不可欠ではある。

干渉を一切しないのであればそれは無関心であり、愛の無い親子関係である。それはそれで愛着に対する寂しさを子供に植えつける事にはなってしまい、いずれにせよ成長過程で問題が生まれてしまう。なんとも難しい話でございます。


■何故過干渉の親が生まれるか

 過干渉の親は、親自身が周りから受け入れられていない状態にある事が多い模様。

例えば旦那が子育てに対して放任気味で、母親一人だけに負担がかかっているとか。近所付き合いなどが苦手であるとか。周囲が声をかけてあげるなどして対処が必要な模様です。
が、子供からできる事はあまり無さそうですね。


■甘ったれた人間になるのは何故?

 私達の周りには、いわゆる甘ったれた人間というのが少なくとも存在しています。私もその中の一人になってやしないかと日々気をつけながら生きてます。結構甘ったれだと自覚してますので。

さて他人に対して甘える人間は過保護で育ったからなのかといえば、そういうわけではなさそうです。親からの愛情を子供時代に正常に受けれなかった場合、自尊心を形成するために子は周囲に愛を求めるようです。

そこで満たされる場合は良い環境に巡り会えたということでなんとかなるようですが、残念ながら様々な環境の不運に巻き込まれてしまい、大人になっても甘えん坊なままの人も一定数居ます。

つまり甘えというのは過保護から生み出されることではなく、過保護を受けられないまま過干渉を受け続けて育ってしまった人が、人間の成長段階として必要な自尊心を育むために甘える事をどこかに求めている状態っぽいです。悲しみですね。

この辺は総称して愛着障害というのが当てはまるので、例によって興味の有る方は是非こちらの一読をオススメいたします。



 


■母子癒着

 さてなんとなく過保護・過干渉の話をしてきましたが、過干渉が続くことで子には「母子癒着」という状態が現れるようです。何をするにも親優先で物事をいつの間にか考えてしまっている状態。冒頭で紹介しました記事の方は無自覚にもこの状態にある様子でした。

解決方法は、心理的な距離をとることによる母親からの卒業。今なら電話もメールもつながっちゃうのでそこらへんを卒業、みたいです。


■過干渉から容易に逃れられない理由

 過干渉は、愛でもある。歪んだ愛。親から見た子にとって必要なことを教えようとする。そもそも愛が無ければ無関心にたどり着くわけですし。そこは本題とずれるので今回は避けます。

あと、親が子に対して行う教育の方向性について、親自信が受けてきた教育をなぞっている傾向がある。例えば子供時代に過干渉を受けてきた子は、将来的に我が子に対して過干渉を行いやすい。人間は自分の経験則に縛られやすいし、自分のアイデンティティを育んてきた家庭生活についての経験則ならば尚の事。

そういうわけで親のルーツを辿れるなら辿ってみるというのはなかなかに面白いのかもしれないです。自分の教育のルーツを見つける事になる。そして親もまたそれに縛られているor活かしている、というのが分かってくるかもしれないです。

もし自分にとって今受けている教育が望ましくないもの、何かしら自分が被害者であるように感じているのならば、親もまた被害者なのかもしれないです。

でもそれは別に許す類のものではないとも思うけども。争点はあくまで自分がこれから苦しまずに生きる事にあるわけでして。


■何故、過干渉から逃れられないのか

 親に対してどこかで、愛があるから、愛だからだろうと子供側も理解を示そうと思ってしまうから、この問題は余計にややこしいことになってしまうようです。親の心子知らずが本来あるべき様相であり、親の心への配慮は自分が自立を果たしてから考えた方が吉なのではないだろうかと考える次第です。

「相手がもしかしてこう考えてくれているんじゃないか」という配慮の心は親以外の人にに対してなども発動していってしまいます。しかしエスパーでも心理学のエキスパートでも無い限りは、話し合いを積み重ねでもしない限り、分かるわきゃないのです。

そして次第には「私はこんなにも配慮しているのに、周りは何も考えてないイライラ」と一人怒り新党してしまったりするわけですね。見事に気むずかしい人の完成です。



ちょいと話題から逸れますが、相手の気持ちを察するのはまだ良いとしても、想像で相手の気持ちを代弁してそれに対して配慮したり…などを続けていると、相手とのコミュニケーションが難しいものになっていきます。

自分のコミュニケーション下手のルーツがもしかしてここにもあるんじゃないか、とか思い当たるフシがあったら、直していけると良さげです。


■親とは何らかのカタチで向き合わねばならないようです

 向き合う事は必要。なぜなら過干渉な親に癒着している状態になっていると、やられてイヤだなと思っていながらも「やってもらって当たり前」な状態も同時に自分の中に存在してしまっている。これが、親から離れる際の枷になる。心理的な面で。

親から離れることが絶対に正解だとわかっているのに、反面離れてしまうことを考えると漠然とした不安に襲われる。恐怖に襲われてしまう。

そこから脱するには親に感謝をすること。それにより、自分はもう子供ではないということの提示が良いのだそう。でもこれはなかなか難しそうだとも思うのですよね。言うは易し。


■パートナーを通して成長する

 改善案のもう一つとして挙げられているのは、パートナーを見つけること。自分にとっての親への癒着を、パートナーに向き合う事で解消していく。自立の方向を目指す。

パートナー居る人はとても幸運なのでパートナーを通して自分を成長させていくと良いようです。一方パートナーの居ない人はまずパートナー探しに全力を注ぐのも良いのやもです。私も一時期は本当に全力を注ぎました(白目)パートナー大事。

人は人との交わりを通すことが、最も成長の近道なのだと思います。親から離れ、 親への癒着ではなく、目の前の友達やパートナーのことを大切にする。


■今回参考にしたページ色々

過保護とか鑑賞 手をかけ過ぎることの光と影…
http://www.mindsun.net/sasaki/kahogo.htm

過保護と過干渉。危険なのは「過干渉」!そして過干渉の親が増えている!
http://soratobutatami.hatenablog.com/entry/%E9%81%8E%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E3%81%A8%E9%81%8E%E5%B9%B2%E6%B8%89

過保護・過干渉がもたらすもの(1)~ヒロユキコさんの告白~
http://www.counselingservice.jp/lecture/lec310-1.html


■おわりに

 そんなわけでして過干渉は自尊心を奪い、人への依存や癒着を強めるため怖い。そして過保護はむしろ人を自立に導きやすい。なので過保護についての誤解を無くしていくと、色々と楽しい日々が待っているのではないかという話でした。

過干渉を受けてるなーとかしちゃってるなーとかの心当たりがありましたら、今一度考えてみても良いテーマなのやもです。 





■余談

 こうした話をするのに割と根拠ある事例が最近身近にありまして。私が直接関与したわけではないのですが、ある社員の方が急成長したという話です。

彼との接し方の中で担当の上司が行ったのは「自分たちは貴方を絶対に怒らないし否定しない。その代わりに思ったことはとにかく何でも話して欲しい(過保護)」これを徹底したそうです。

それをずーっと続けた結果、1年程で彼はかなり有力人材として育ったのでした。そして同時に、その上司たちに反発するのでした。

「きっと今は分からないんだろうなぁ」なんて上司は言ってます。確かに様相としては1年以上前と比べると明らかに自立した発言が目立つようになってます。

彼が受けていた、それ以前のマネジメントはどちらかというと、できていない所や直さないといけない部分に対してどんどん叱って修正していっているような感じでした。が、その時は目立って良くなる様子が無かったようでした。

なので余計に、今回の彼の成長は目を見張るものになったようです。

付け加えるのでしたら、彼自身が頑張り屋で負けず嫌いだったからこそ、手をかけられたのだろうという前提もありますけども。



成人して、もう過干渉な元で育っちゃったからダメだ、というわけではなく、人は環境次第でどのタイミングであっても変わっていくことは出来るのかもしれません。

いやほんと。





ちなみに親の過干渉というのがどういったものであるかという内容は、この本が漫画形式でかなり臨場感が伝わってくるので興味の有る方にはオススメです。

ただ、私はこの本読んでてちょっとしんどくなりました。未だに完読出来てません。今さら過去のしんどかった事思い出したってしょうがないなという自制心が働いているのだと思います。

なので、どちらかというと現状、親の過干渉で困っている人にオススメかもしれません。「自分だけが特別苦しんでいたわけじゃないんだ」とか「なるほどこういう風に客観的に見えてるのか」とか「なるほどこういう対処でいいんだ」とか、色々心が救われるやもしれませんです。