20150619
出典:いらすとや

 ここ数年の話。幸せになったというのは、心に平穏と余裕が訪れたという意味合いでもあり、成長していこうという前向きな気分を得られた事、というのが私の中での定義です。人それぞれに幸せがあると思いますので。というわけで色々と内訳。




■陰口悪口批判マンだった頃の自分を振り返ってみて

 白状すれば、私は割と20代前半頃まで、人の悪口や妬みやっかみばかりの惨めマンでした。

あいつのあの能力が羨ましい生まれた環境がうらやましい顔の造形がうらやましい。自分は惨めったらしい人間なのに自分より恵まれた環境で自分よりも劣情に駆られもしたことの無いような奴が自分をけなしてくるのがムカつく。あいつは裏でこんなことやってるぞ、いやだね気持ち悪いね。などと。

今はもう全然無いですけど。たまに心のなかでふつふつと湧き上がったりもするのですが心の中で気長に向き合っていこうかと

正直な話をすれば、悪口を言っている時もそれはそれで幸せでした。しかし人の粗捜しをしていても自分に対しての成長は何も無いというのがまぁ人間的に伸び盛りである20代前半あたりで顕著に現れまして。

どれだけ人を批判して陰口を叩いたところで何も無い。人は遠ざかり、技術も仕事も信用も遠ざかり。でも、人を偉そうに批判したり悪口を言うのは楽しい。本当にゴミクズ野郎でございました。クズと呼ばれても仕方ないです。そうです私はまじクズ。真面目の皮を被ったクズ。身も心も紳士になりたい…。


■私の悪口陰口癖は親と家庭環境のせい

 私「いい大人にもなって親とか環境のせいにしてる奴www」という論調がとても嫌いです。成長過程の正確は全て親含む周辺環境によって構成されます。無論遺伝的なヒトとしての気性部分もありますがそんなことはそもそも自分に制御できないので語っても仕方ありません。

私が陰口悪口マンになってた一番大きな原因は、育ての親が普段から人の悪口ばかり言って、自分に言い聞かせていたのがありまして。今だからこそ改めて思うのですが、十中八九そのせいです。

育ってきた環境が凄まじく自分という人間を構成する。というわけで普段から人の悪口陰口批判ばかりしてる親のもと、プラス複雑な環境で育てば見事に疑心暗鬼な陰口クズの完成です。哀れんで貰っても困るしけなされても困るし。それが私というコンテンツなもので。今何とかしてる最中です。

誰でもこれからなんとかなるものなのだと思います。手遅れと決めつけたら手遅れなだけで。


■陰口悪口上から批判をやめようと思ったきっかけ

 とんでもなく痛い目を見たというのが情けない話ですが全てです。とんでもなく痛い目を見る前はそれとなくなんとかなっていたという事実も正直なところあります。しかし、仕事やプライベート多岐にわたってちょうどぶつかるようにしてとても痛い目をみました。まるで20数年の自分の業が超特大ブーメランとなって帰ってきた、そんな感じでした。

もう嫌だ20数年生きててどうして自分ばかりこんなにつらい目にあい続けるのかとわんわん泣きました。憂さ晴らしにギャンブルに手を出してみて勿論勝てるわけもなくまた泣きました。恥ずかしすぎる。生きていることが恥ずかしすぎる。


■なんでもない気付き

 どこのどんな記事だったか、それとも誰かから言われたのか。

あまり定かでもありませんが、「人の陰口ばかり言う奴は信用もされないし、間接的に聞かされた人間にも「こいつは俺が居ないところできっと俺の陰口叩いてるんだろうな」と思われる。信用が無ければ人は去る。人が寄り付かない人間には信用もお金も友達も何も手に入れられない」みたいなものを見ました。

特定の強烈な一文を見たとかじゃなく、人生が辛いとか上手くいかないとか調べて、色んなところで語られていたものを統合して出た答えだった気がします。


■バカだからとりあえず従ってみることに

 それくらいしか方法が分からなかったのですよね…。


■悪口陰口マンをやめてから漂う無力感

 さて、陰口悪口やめたからといって事態は何の好転もしませんでした。
なにせ人の陰口や上から目線の批評を皮切りに会話してきた人間なんですから、それをやめたら何が残るのかという話で。もちろんなーんにも残りません。アイデンティティが何もなくなるから、周囲の自分が好きなことにキラキラと挑み続けてその豊富な経験を嬉々として語らう人とも会話できないし、かといって悪口陰口マンのところに居てもその環境にすぐ飲まれてしまうし。

悪口陰口マンをやめたら何も無いマンになってしまいました。悪口陰口やめたら幸せになれると思ってた何も無いマンはどこにも所属することすらできなくなりました。

それどころかこれまでの他人への陰口とかを一切貯めこんだからメチャクチャストレスたまりました。おぉ辛い。いいことなんて何もない。


■それでもとりあえずやったことといえば

 今までの自分が常識だと思い込んでた部分を捨てねばならずだったので自分とは全然縁遠い人の本を読んだり、これまで趣味にしていたこととはジャンルの違う分野に手を出してみたり、未知の事を勉強してみて知ったかぶりしていたものにちゃんと解を見出してみたり。

足りなくなったものを埋めるためにとにかく必死に色々とやってみました。自分が今までバカにして陰口叩いていたことを全部やってみました。当然、バカらしいその行為に周囲からは嘲笑も受けましたし、別に相手もされませんでしたし。

…なんだこれ全然辛いじゃん。何もいいこと無いじゃん。


■転機

 というのはあんまり無いんですよね。でもなんとなく1年近くそういうことを繰り返していたある時、「◯◯◯◯君変わったね」ということを言われたのでした。転機はそれだったのやも。周囲の目に映る自分のキャラクターというのが変化したのは重要な転機だったのかもしれません。
それが自信になったのか、更に色々な事をやってみるようになりました。現在は忙殺気味ですが楽しいです。


■青汁の紹介みたいな流れでアレですね



■自分の膿だった部分を捨てて穴埋めをし続けてきてわかったこと

 どうにもこの癖は1日やそこらで捨てられるわけじゃないということ。私の見立てでは完全に捨てるにはあと10年はかかるんじゃないかなと思うのでございます。つまり現在進行形で陰口とかは別にやるときはやってしまう。でも気をつけるようにはしてる。

あと穴埋めのつもりでやってたことはほとんど身になってない。でも、わずかながらに続いてるものもある。数字だけでみればダメダメだけど、なにもしないで上から批判していたころに比べれば遥かに身になってるし色々と前向きに物事進められるようになってきてる感じがあります。

穴埋めのためと思ってあれこれやっては何も見つからなかった時期は虚無感と焦燥感ばかりが襲ってきておりましたが。


■陰口マンだった頃と今とを比べて改めて感じる事について

 色々と思う所はあるのですが、一つ明確に感じるのは、人生における得も言われぬ不快感とかぶつけどころの無い苛立ちとか自分ばかりが辛いみたいな卑下とか、そういう自分が辛くなるテンションに落ちていく機会が減ってきた感じがします。

それだけかよ、って話なんですけど、そういう無力感とかやるせなさに逐一心を支配されると本当に辛くてその日一日何もできなかったりするので、ある程度均一の精神状態を維持し続けられるようになったのはとてつもなく私にとっては有意義です。誰にとっても時間は平等なわけでありますから。



■陰口を計画的に利用する人たちに貶められた経験

 という一方で悪口を計画的に流布する人間もおりまして。たいていは人の評判を落とすことで利益を得る輩でございますね。その手の人とも色々出会ったことがありますが、一方的になじられた次第でなんとも後味の悪い経験をいたしました。何度も。

これも自分が今までやってきた仕打ちが因果応報としてかえってきてるのだと思えば納得もいきました。

自分の保身や見栄のために必死に他人を貶めて自分の利を得ようとするのは何も自分だけじゃなかったんだな、という当たり前の気付きを得られたのもなかなかに良い経験でした。
これもまた自分の殻に閉じこもっていたら見えなかった世界です。


■真面目に生活し、人の悪口言わないで居る事のコストパフォーマンスは高い

 周りが作り出す私という像は、私の制御の及ばない部分で様々な思惑をはらんで増長していきます。1の悪口が10にも100にも増強されてたりします。逆に言えばまじめにやって陰口の一つも叩かなけりゃそういう印象が強くなる。どっちが得かといえば比べるまでもないわけでして。





■おわりに

 あくまで私の主観の話なのでした。陰口は極論私は悪いことじゃないと思います。陰口というとなんだかみみっちい感じになりますが前述したとおり自分や組織を強固に見せる悪評流布としての戦略にも使える。あまり褒められたものじゃないですが。

しかしながら陰口はヘイトを集めやすいものだと思いますし、景気が困窮してたりネットで些細な事が炎上ターゲットになったりで、ヘイトに対する寛容さが非常に失われている現状においては、陰口というのは上手く使える自信が無いのだったら封印して、ふつーに真面目に適切に効率的に和を取り持ってコスパ良く生きるのが楽なんじゃないかなーと思うのでした。

すごく簡単にまとめると、陰口はヘイト集めて痛い目見やすいし自分の成長などの観点から、また周囲の信用なども考えてももあまり良い効用がないので、極力やめた方が良い癖なんですよという当たり前の話に落ち着くのでした。加えて言えば、陰口や悪口を普段から口にする人との接触は控えることで自分の環境を整えたりもできるので良いと思います。

あと繰り返し、すぐに矯正できるものじゃないから気長にやるっきゃないと思います。いやほんと。


■おわりのおわりに

 色々本読んできたのですがなんやかんやこの本が一番悪い方向に人生が向かわないための教科書みたいな本だなーと思います。
あと勘違いレビューで、この本を読んでも自己満足に浸るだけで人から評価を受けることには繋がらない、というものを見たのですが、これはその通り自分の哲学を自分の中につくり上げる書であって、人から認められる能力を即座に得られる本ではないわけでして…。というより本にそういう即効性を求めるのはどうなんだ…というのを思います。
結局はじっくりじっくり根気よくやるしかないのだと思います。


完訳 7つの習慣 人格主義の回復
スティーブン・R・コヴィー
キングベアー出版
2013-08-30