150526

出典:いらすとや
以下リンク先文章引用
自閉症、発達障害、アスペルガー症候群、ADHDなどの障害により、人の気持ちを察するのが苦手で困っている男性のイラストです。
今回の題材に相応しいイラストでした。 問題ございましたら引用文章は削除致します。


人との距離とはどうしてかくも難しいものなのか。苦しんで苦しんで生きてきたけどようやくここ数年それがマシに感じられるようになってきたのでそれのメモ。最初に言っておきますと「マシ」になっただけで、ものすごく抜本的にコミュ症が改善して生まれ変わったよ!とかそういう話じゃないです。
あと今回の題材を考えるに到った栗原類さんの例の告白についても合わせまして。


 

■距離がつかめなかった歴史

 周りの上手く人間関係築いている人たちと比較すると、私は子供の頃から明らかにいつも浮いてました。話も続かない、間も持たない。私と一緒に居ることで相手がつまらなそうにするのがただただ申し訳なくて、周囲に気を使ってどんどん誰とも話さなくなった。

よくこういうのは「そういう対人関係が苦手になったきっかけ」が取り沙汰されるのだけど、私には印象的なものがないのです。ただ、なんとなく、物心ついた時から人との距離がつかめなかった。そういうことをとても苦手だなとずーっと意識していた。それは今も変わらず。 普通の人が当たり前、常識の範囲内で出来る会話や気遣いが、頑張っても頑張っても出来ない。発達に何らかの問題を抱えてました。 

中学あたりからこの症状は露骨になってきました。中学といえば一気に周辺環境がリセットされる時期ですからいわゆる「新しい人間関係を構築する場」なわけですね。しかし私は同じ小学校だった友達とは継続して仲良く出来ても、その友達が連れてくる「友達の友達」というのにうまく溶け込めなかった。あとは部活と塾で忙しくて、小学校からの友達と疎遠になってしまいまして。塾で出来た仲間は全員その場で出会った人たちだけで、交流を深めることは叶わなかった。

振り返れば中学でその新しい環境での人間関係づくりに完全に失敗し、人とのコミュニケーションを抜本的に構築できなかったまま、高校は更に知り合いが全然居ない進学校に進みました。当然高校でも3年間新しい関係なんてほぼ作り出せず。

長く長く染み付いた「人との距離の取り方が分からない」という状況はやがて「人の迷惑にならないように声を出さないようにしよう、目を合わせないようにしよう、外に出ないようにしよう、人と関わることを諦めよう」というものに変質していきました。それは社会に出てからもずっと。

思えば人間の脳が発達する上で最も多感な時期に私は何一つ人間とのコミュニケーションの術を学ばなかったのですね。



■なんでこんなこと書くのかといえば

 割と人の過去というものは、見る人によっては笑いのネタになる一方で、生きる希望になったりもするんだなぁというのを、色々と本を読んだりしながら感じたりしたので。私は現在なんやかんや楽しくやってます。今の私は、奥さんを始めとして沢山の人に出会いにいったり、あとは本を読んだりしまくりながら徐々に数年かけて再構成されていると感じてます。後々詳しく紹介しますけど大きなターニングポイントになったのは結婚と、結婚してすぐに発達の障害についての生活の困難、そんな中で見つけた「愛着障害」が大きかったかなと。



■ことわり

 私はこの境遇について同情を受けたくて書いているわけではないです。ただ、私のような人間が今になってもそれなりに生きているし、それはだいたいにおいて運が作用しているだけである。レベルデザインがぶっ壊れたこの世の理の中であいにく恵まれない環境で育った人間は、這いつくばりながら悔し涙を流しながら嘲笑我ながら後ろ指さされながら運をつかみにいくしかないのだ、という当たり前の事を感じた次第なので。運ゲー運ゲー。

結構今はこんな30年を過ごしてきて悪くなかったんじゃないかと感じてるわけです。数年前までは塞ぎこんで未来も見えなくて人のいうことばかりハイハイ鵜呑みにして騙されて、勝手に自分に失望しつづけてたのに。

人は抜本的には変われないけど、少しずつ変化はしていけるもんだなと思いますですはい。


■栗原類さんの告白について

 先日NHKのあさイチという番組内で、栗原類さんが自身の発達障害についてカミングアウトしておられ、話題になっておりました。番組内で自身の生きづらさと、それを知る聞かっけ、そして家族の理解などの話をされていました。

さて割と案の定というのが「そんな障害を抱えながら頑張っている栗原くんは凄い。よくぞそんな大変なことを勇気を持って告白した」という反応が見受けられること。メディアの宣伝記事がそういうニュアンスを誘う内容だったからというものあるでしょうけど。

栗原さんは自分がメディアに出ている側の人間であることを自覚した上で、この「発達障害」への理解が深まることを望んでいるような事を言っていたのですが、「栗原類が発達障害を抱えながらも頑張っている」像を上手く作り上げたい感じの報じ方にどうも本質的なズレを感じてます。

ライブドアニュースさんとかはその辺もしっかり取り上げているので好感です
栗原類が発達障害であることを告白…理解を得られず怒られることも

 


■危惧

 悪い方向に考えても仕方ないのですが、私の中での危惧は、こういう告白を見た視聴者の親世代の方々が「栗原くんだって勇気を出して頑張ってるんだから~ 栗原くん、立派だね がんばればアンタだって出来る」なんてことを我が子に言う人たちが現れやしないだろうかということ。

栗原さんは自分の障害へ向き合うことに対する努力への賞賛など全く求めてないようだし、あくまで発達障害というのが今の社会に蔓延していながら認知されいないから、周囲がもっと理解を深めていって欲しいというような趣旨だったはずなのですが。



■発達障害への理解は大体無い

 栗原さんも言ってましたけど家族の理解があったことで自分はやってこられたと。でも家族の理解の無い家庭の方が多いんでないかなと感じます。

 「甘えてんじゃねえよ」「性格の問題」「気合が根性が足りない」「これだからゆとり教育は」「空気読め」

親であろうと、子のそうした問題点に着眼できず「どうして普通に出来ないの」と怒るしかできなくなって、悪いループに落ちていく、なんてことも見受けられ。そうです結局周りの理解が無いと、本人がものすごく頑張りましたー良かったねー、で解決するような事柄じゃないのですね。周囲の理解。これとても大事。


■発達障害への理解は単純な消化で終わってほしくない話題

 それは、私が別に発達障害で苦しいから困るっていう話じゃなくて、こうした現象が割と多く日常に見受けられるから、理解を深めるということは結果的に誰にとってもストレスが軽減されると思うのです。そうして人間の多様性を知るということは、他人への配慮にもつながるし、結局自分の心へ平穏をもたらすことにも繋がる。


■「誰が発信したか」が重要なのです

 でもまぁなんだかんだ言いましたけども、栗原さんのような発信力の大きな人が明確に発達障害についての発信をしたのは結構大きな波を作ったんじゃないかなと思いました。

私達は結局「ストーリー」に対して大きな関心を寄せるのです。そのストーリーが壮大な程に耳を傾ける。ストーリーが無ければ感心は向かない。

だから心からありがたく思う次第です。

今回の記事は自覚症状ありまくりで、便乗していくスタイルです。


■オススメ本、今さらながら「愛着障害」を振り返り

 私が自分の、社会でのあまりの生きづらさ、障害性について向き合うきっかけになったのは岡田尊氏さん執筆の「愛着障害」という本。当ブログで早期に紹介しているのですがこの本だけ異様に売れ続けてます。
改めて思うのですが、学術的な見解とかも色々読んだんですけど、やっぱりこの本にはその研究結果以外の、私のような「社会で生きることがこんなにも苦しいのに理由が分からない。ただ性格の問題であって、それは全て自分の問題であって。それじゃあ僕はもう生きている意味が無いじゃないか」と哀しみに明け暮れていた日々にようやく差し出された温かい手のような、そんな他で紹介する本とは違う印象を受けた本です。

「ああ、自分は、社会的にある程度特別な人間であるけれども、特別な一人ではなかったんだ」

これに気づかせてくれた本。発達障害やADHDに対する本格的な学術的な内容ではないのですが、まずはこれで自分の心を救うところから、という一冊であったりします。

読んでから2年経ちますけど相変わらず超絶オススメです。

また、発達障害に悩んでいないとしても、逆に言えばそうした事に苦しんでいる人たちはどんなことを考えているんだろうか、という気付きの本になるとも思います。

関連内部リンク:どうして真面目系クズになってしまうのか



 


■本題の、私の30年の人との距離感についての苦しみがある程度解消した話

 忘れてました。といっても答えをある程度語ってしまったのですが。

結局のところ「自分の生きづらさの原因を先人の知恵から学ぶ」ことによって、自分の観測する世界の範囲が少しだけ広くなったことでしょうか。それによって「他人」を自分の心に受け入れる余裕ができた。

ずっと人との関係を上手く築きあげられなかったから、人の考えてることも分からないし、分からないから容易に発言も出来なくて「お前何考えてるかわからない」と言われる始末だったのだけど。

それが、人間のこと、哲学、仕組み、歴史、そういったものを知っていくことで徐々に「これだけ苦しい人生で、自分はよっぽどおかしな人間だと思っていたけど、自分は別に特別な存在でもはなかった。同じような悩みを抱えてきた人も沢山居た。そしてそれなりに今からでも何かできる事はありそう」って感じられるようになりました。あとは「他人は他人。自分は自分」これを深い所まで自覚することができた。

あとは結婚して奥さんに沢山迷惑かけ続けながら、支えてもらったというのがデカいと思います。理解者が居る環境がやはし良い。別にのろけたいわけじゃなくて、それだけ理解者が側に居てくれる環境というのが大切であるというのを痛感しております。だからこそ社会に発達障害の理解が広まることは、色々な人が生きやすさを手に入れられる事に繋がると思います。


■解消方法

 で、そういう感じで「人」を沢山理解するようになって少しずつ少しずつ距離のとりかたが分かってきました。

それは「別に頑張らなくていいじゃん」ていう本当に些細なこと。

そです、私、人のことなんにも分からなかったから、どんな人にも全力で上手くやらなきゃ、嫌われないようにしなきゃ、って焦りすぎてた。みんな自分のペースで歩いているのに、一人だけあちこちを余裕なくバタバタ走り回っていた。自分が正常な人間であると訴えたくて異常な動きばかりしてた。

だって別に人に嫌われたいから距離を置いてたんじゃなく、距離のとり方が分からないから人と接しないようにしようとしてたわけで。寂しくて悲しくて辛くてやるせなくて悶々とした学生時代を送ってたわけでしたから。人に好かれたくてしょうがなかった。

でも別に自分は端からちょいとおかしいんだから、別に無理に頑張らなくてもいいんだなぁと、人間関係を構築することに肩肘張るのをやめた。それだけ。まぁ、皆に好かれなくても、100人に嫌われようと1人くらいは自分に興味持ってくれる人は世の中のどこかには居るんだ、と。狭く見ても日本人全員に嫌われることは不可能なんだ、と。

そんなわけで改めて、人に好かれるのを頑張るのをやめた、のでした。そしたらまぁ楽チンになりました。

と、言葉にすると単純なんですけど、そこに至るまでのプロセスは山ほどあって。現にこの結論を書くだけでこんなに長い前提を用いたわけですから。

でも、つまるところこんな感じなのでした。


■とっても大事な「運」についての話

 最初の方でさらっと流しましたけど、やっぱり人生かなり運絡んでます。生まれた瞬間運が始まってます。良い親に出会うか、貧乏か金持ちの家に生まれるか、良い担任に出会うか、良い時代に生まれるか。

運要素だらけ。私が愛着障害に出会ったのも運。
努力だ何だの叫ばれますけど、どう考えたって運です。運しか無い。じゃあ、結局運をつかむしかない。つかむためには。沢山手を伸ばす。走り回る。残念ながら不利な状態で人生ゲームスタートしてしまったのであれば努力なんてして当たり前。でも努力が本質なんじゃなくて、あくまで運を掴むことが大事でそのために計算して賢い努力が必要というだけ。 それだけ。 ホントに。 運。


■おわりに

 というわけで栗原類さんの話題に絡めて久しぶりの更新でした。現在超絶忙しくてニュースのまとめすら出来ませんです。かなしみ。

ついでなので、近況で面白かったこと。


【運命じゃない人】

運命じゃない人 [DVD]
中村靖日
エイベックス・ピクチャーズ
2006-01-27


 アフタースクールや、鍵泥棒のメソッド、でお馴染みの内田けんじ監督のデビュー作。ごちそうさんのうますけさんが主演の、和製パルプフィクション的映画。パズルのような映画で、徐々に足りなかったピースが埋められる様はただただ痛快でお見事。俳優さんも当時は無名の方々ばかりで、完全に脚本だけで勝負してる、逸品の映画です。海外で数多くの賞を受賞したよう。終始画面に釘付けになりました。オススメ。
ところでこの監督さんの映画には必ずヤクザが絡んできます。邦画ではヤクザを主題に置いた作品以外では語られない対象ですが、そうした裏社会含めて私達の社会が成り立っていることに目を背けたくない、というようなメッセージを勝手に受け取ってまして、この辺も非常に好きです。


【WiiU/ゼノブレイドクロス】 



 今週末にスプラトゥーンが出るので、WiiU買ってしまいました。合わせてゼノブレイドクロスも購入。前作ファンからは随分叩かれてる様子で、大体はストーリーについての不満。なるほど進めてみた感じたしかに前作のような熱い王道展開を期待してると肩透かし食らいそう。私は特にそれは期待してなかったので、設定楽しいなーと受け取ってます。

さてオープンワールドJRPGとしてこの規模のゲームは私は見たことないです。もうそれだけで素晴らしい。最高。MAPの広さはGTA5の3倍。スカイリムの10倍。未開の惑星を探検する。もうそれだけでロマン。脳内で勝手に、与えられた設定を元にして世界が構成される。原生生物はいきなりとんでもない巨大な恐竜みたいなのが居たかと思えば、人並みの大きさの虫が居たりまぁなんとも多種多様。しかも巨大生物が戦闘中に突然乱入してきた日には悲鳴上げる。

なんといいますか、もうとにかく楽しい。ストーリーなんておまけおまけ。超広大なMAPをデーンと渡されて「あとは勝手に想像して楽しんでね、楽しむルールは沢山用意してるからね」とぶん投げられてる感じで、うん、それで良い。

前作ゼノブレイドは実に意外な場所に自分たちの世界があったという驚愕の設定で度肝を抜いたもんですが、もうね、ただただ広大で未開惑星で、異文明があって、それだけでお腹いっぱいですごちそうさまです。
DLC?喜んで買います。こんな壮大な規模のゲームをたった7000円ちょいで買わせてもらって、たかだか2000円ちょっとのまとめ追加パック入れられたって、どうぞどうぞこの程度のお布施で次の開発を頑張ってもらえるなら良いです良いです、って気分でした。

あと個人的に妄想すごく掻き立てられたのは夜の海を生身で泳ぐ時。無性に怖い。何もないのに怖い。広大な海に泳ぎだすだけで頭のなかに妄想が広がっていく。

序盤5時間程度遊んだだけの感想ではありますが。面白い。廃人になりそう。



【ヒストリエ 9巻】




 どんどん新巻が出るペースがゆっくりになる、寄生獣でおなじみ岩明均先生の歴史漫画。エウネメスを主人公に紀元前4世紀のギリシアやマケドニアやペルシアなどを描いた作品。アリストテレスとかアレクサンドロスとかに興味を惹かれたらもうそれだけで買い。
もうとにかく描写が丁寧で丁寧で。今回はエウネメス(書記官なのに)が敵地であるアテネに乗り込み、フォーキンとの交渉を進めるところから。
ある人物との再会には目頭が熱くなりました。全巻に渡って人間の哲学がちりばめられていますし、何よりこの時代を描いていること自体が本当に価値ある作品であると思います。是非是非。




そんなわけで来週いっぱいくらいまで忙殺中なのでまだしばらく日記放置になると思います。

もっと一人ひとりが楽に生きられる社会になっていくといいなーと今回の発達障害を見て思った、というのが総評でした。

いやほんと。