検索されすぎぃー!ってことでちょっと息抜きした方が良いと思います。気持ち的には高校生の頃の自分に向けて思った事とか。

 
 

■生きる意味なんて無いです

 生きる事に高尚さを求めがちになりすぎている傾向があります。そもそも色々な良い事言う人達が言ってる「生きる意味」は、表面上のものにすぎないのです。そうした観点からの生きる意味は突き詰めれば無いのです。


■死ねという意味じゃないです



■基本的に「死なないために生きてるだけ」が真理です

 私達は動物なので、自分で死を選ぶことは基本的には無いのです。自殺する人は「もう自殺するしか無い」と様々な圧力に苛まれて、精神的に殺されてるだけです。自殺は他殺です。弱い人間とかじゃなく、そうするしかないよう追い詰められてるだけです。自堕落に見えるかもしれないけど、運が悪ければ自分だって歩んだかもしれない人生かもしれないのであります。


■普通に生活してたら死なないから、当たり前の事が見えなくなっただけ

 話を戻しまして、2001年宇宙の旅の冒頭で描かれるよう、原始時代の私達はそもそも野獣達に立ち向かう術すらなく、ただただ夜を恐れて過ごしておりました。そうして現代ではそんな命の危機に貧することは無いわけです。犯罪に巻き込まれるリスクはあるとはいえども。


■でもそれじゃつまらないから、理由が欲しいだけです

 「死なないため」の命題がなくなったら、モチベーションが無くなるんですね。だから、「何故私は生きているのか」と向き合う。とくに現状の生活に激しく不満のある人は。両親の不仲とかコミュ障とかその命題にそもそも向き合わずにずーっと走り続けて息切れした人とか。

そうそう、ガンを宣告されたり命にかかわる危機を乗り越えた人が別人のようになる事があります。それは「死」に明確に向き合うからです。自分の人生に限りがあることを明確に感じたり、いきなり死にそうになった瞬間に人は「自分の人生って何だったんだ」とようやく向き合う。
「生きる意味」じゃなく「死ぬまでに何をしたいだろう」という逆算が始まる。

ひどい言い方をすると、「生きる意味」に長時間向き合ってしまってる人はよっぽど暇人なんですね。これは別に馬鹿にしてるんじゃなく、周囲の環境含めて「暇」を作ってしまってるのが原因。

尚、死なないためだけを考えるんだったら一人寂しく自給自足して終わりの時まで人生を過ごすという選択もあります。それが性に合ってる人も居るみたいです。私はさみしがりやなので無理です。


■余談:「暇」になりやすい人の特徴

・趣味が無い
・ハマれない
・友人が少ない
・目標や野望が無い
・経済的困窮に無い
・根深い欲求が無い
・常に新しいことに触れる努力をしてない
・知識を広げる勉強をしていない
・スケジュールを立てられない
・指示待ち人間

ざっとこんな感じなので、当てはまるものが多い人は埋めれるところは埋めていったほうが良いかもしれませんですね。


■誰も彼も「生きる意味」には「蓋」をすることでしか対処できない

 この問題はそもそも向き合うことが間違っている問題なのです。だって答えが無いんですよ。唯一の生活は「死なないため」だけなんですから。だから、せめて苦しくならない正解としては「そもそも考えない」「そんな問題からはさっさと逃げる」
こんなの人類の永遠のテーマですよ。神が罰を下したとか死を迎え転生するための修行だとか。はい、もうとっくにずーっと前の偉い哲学者とかが向き合った命題です。
考えるよりそちらの方々の本を読んだほうが早い。


■自分が幸せじゃなかったり暇だからこそ誰かの力になったほうが良い

 人間は誰かの力になれたとき、幸福を得られます。うまくいかないと、悲しい気持ちになります。でもそれは通過点で、人に奉仕し続けることで自分の中に芽生える「充実感」とか「達成感」とかが育つようになります。

そうして社会参加、社会承認を経ていき、やがて精神が自己確立へと向かいます。
本質的に私達は死を乗り越えた先で、他者のため何が出来るのかで幸せを得るのです。現在はそこに「お金」があることで、より沢山の奉仕が出来るような仕組みになっています。

ところがそのお金を使って誰かを幸福にして自分を満たすのではなく、貯めこむことでお金収集癖が幸せの価値観であると発信されてるからおかしなことになってる。

お金は不幸を回避するツールであって人間的幸せを得るツールではない。


■人の幸せを願うことが生きる意味になっていくと楽しい

 毎日誰かに驚きを与えたり楽しみを与えたり、そのために切磋琢磨することで自分が満たされていく。でも、しばらくは満たされない。自分だけが幸せになろうとしていた人にとってはこのチャンネルの変化は難しい。でも、わかりきっている事実としては「人は誰かに承認されないかぎり幸せになれない」
内側に向かって自分の幸せだけを求めてたって見つかるわけがない。そんなものはそもそも存在しないから。

またまた余談。麻薬とかギャンブル等、これらに踏み込んではいけない本当の理由は借金するからとかではなく、自分の世界がそこで閉ざされて「自分の幸せ」しか見えなくなるから。

生産性が無く、人を堕落させ不幸にしか導かない最悪のツールですよ。


■自分の幸せばかり追い求めても、苦しみしか無い 他者奉仕

 「生きる意味」にぶち当たる人は、何度も思考を重ねてある程度答えが見えてしまった人。でも、そんな人程他者を自分の人生から除外してしまっている。悪く言えばひとりよがりになっている。そもそも私達が生きてることに価値を感じるのは他者との交わりであることは殆どの人にとって疑いようのないものなので、この感覚を取り戻さないといけない。

急にライトノベルの話をしてアレなんですが、最近都合上「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」というのを1巻だけ読みました。
扱っているテーマとしては「現代の社会参加不安・承認不安を抱えた主人公とヒロインの物語」なんですね。で、物語序盤でいきなりこの本質の「他者への助力、奉仕」による社会復帰を掲げた部活が扱われる。
昨今のラノベの学園モノ部活ブームの中、しっかりとこのテーマを消化しそうな内容。
中二病やキョロ充などのテーマをかいつまみながら、「達観してしまったがゆえにどこにも所属できない非モテボッチの苦しみ」みたいな現代人の心の病床のようなものを捉えてました。
見方によっては相当面白い作品でした。オススメ。

で、別分野から上がる意見としてもやはり「他者への奉仕、ボランティアなど」がこの手の悩みにストレートに直結するようです。




■ペットで子供の精神が発育される

 ペットを飼っていた子は、そうでない子に比べて精神の発達が進む研究もあるそうです。ペットへの奉仕、いつでも傍に居てくれる存在、そうした状況が健全な精神を育むとか。奉仕は何も人に対してだけではないよう。


■一人っ子や長男や非モテなどが抱える悩み

 基本的に孤立しやすい立場にある人ほど、人とのつながりが希薄な故に人生の楽しみを経験する機会が無いため、早い時期からこの「生きる」とか「やりたいこと」の題材にぶち当たってしまう。モテモテなのに「俺って生きてる意味あるのかな」なんて言ってる人見たことないです。


■人生楽しむ事で、リア充は「生きる意味」を見ないで済んでる

 つまり、こういうこと。楽しんでる人たちにとってそもそもこんな事を考える必要はない。


■危険な40代以降

 ビジネスシーンで20代30代を駆け抜けてきて、40代になりようやく少し腰を落ち着けられるようになってきた。そこで、ふと振り返った時に思う。友達との時間もとらず、家族との時間もとれず、働いてきた結果、漠然とした喪失感や孤独感などに打ち震える。何故、今になってこんなことを考えるようになってしまったのか。

自分の人生とは何だったのか。何のために生きてるんだろうか。そうして鬱が発症しはじめる。

何のためって、周りのため部下のため家族のため顔も知らない誰かのためです。それを今までのロールモデルは特に重要視せず考える暇を与えず「とにかく働け、消費しろ、金を稼げ」に極振りしてきただけです。
ようは貴方はただ暇になっただけです。また忙しくなればいいだけです。引き続き、誰かのために、社会参加しながら。そして、死なないために。


■死なないために生きてる自覚をしてから、楽しいこと、ハマれること探しを

 もう一度本質に立ち返る。死なないために何をすべきなのか。今のいっときの安寧の間に、死なないライフラインをもっと築いておくべきなのか。あるいはそこはもう本当に考えなくても済むから、次に楽しめることやハマれることを探したほうが良いのか。


■でも、本質的に自分がやりたいことなんて見つからない

 自分がやりたいことが見つけられてない人は、焦る必要はない。実際の所やりたいことというのは「それをやらなきゃならないよなぁ」というのが勝手にアチラからやってくるものだから。
ところがアンテナを立ててない人は、この「やるべきこと」がいつまでもみえない。なのに「自分の内なる可能性が目覚めるまで」やりたいことが湧き上がるのを待っている。
そういうことじゃない。やりたいことなんて自分の中から生まれては来ない。
もっとチャンネルを広げる。そのためには、結局のところ勉強しかないのだ。沢山の情報を仕入れ、沢山の意見を知り、沢山の価値観を仕入れて、自分を拡張するしかないのだ。


■世の中が求めてること、周囲がやりたいことが見えてくる

 そういう自身の基礎工事を繰り返し行うことで、周囲に目を向ける器が育ってくる。基礎工事をしないでなんとなく焦ってばかりの人はずーっと「何のために生きてんだろ」のるつぼから抜け出せない。
パソコンも無い時代に「自分はプログラミングやりたい」だなんて誰も言わない。環境次第で「やるべきこと」はいくらでも生まれる。


■やがて自分のやりたい事として消化して、染まっていく

 そもそもの勘違いは「生きる意味」も「やりたいこと」も結局は環境によってある程度決まってくるのです。


■人間を理解すること、世の中のチャンネルにもっと目を向けること そこに目を向けないまま哲学しすぎないこと

 私達人間の動物としての本性を知ること、先程も述べたようにとにかく勉強してチャンネルを広げること。そして、それらをしないままに未熟な状態で「自分とは」という哲学にのめりすぎないこと。狂人になってしまいます。


■まず死なないために生きよう

 再び。結局のところまずここから。死にたくてもそう簡単には死ねないのだから、じゃあその死に向かう思考をやめよう。どうせ無駄で辛いんだから。生きよう。


■身近な誰か、顔も知らぬ誰かのために生きよう

 生きることは確定した。でも、自分のために頑張り続けるというのも難しいというのがわかった。じゃあ、誰かに奉仕しよう。顔も知らぬ誰かのために自分ができることをしてみよう。


■という気持ちで生きてるといいことあるかもよ!



■という気持ちが無ければ永遠と「生きてて楽しいことなんてなーんもなかったよ」になるよ…



■根性論かよ! そうだよ!



■健全な精神を取り戻そう 運動しよう どうせだからまずは自分から楽しみ始めよう

 ところで最近運動してますでしょうか。肥満になったりしてないでしょうか。逆にやせ衰えたりしてないでしょうか。何か疾患は無いでしょうか。治せる範囲のものでいいので、まずは身体をしっかり整えましょう。健全な身体を手にして、健全な精神を手にしましょう。

ただ「健全である」ということだけでも、弱い自分に向き合うことは少なくなります。そしたら、「何故生きてるんだろう」なんて悩みにぶち当たることもなくなる。

さぁ、その健全な肉体と精神で誰かのために何かをはじめてみましょ!





■私のささやかな怒り

 「生きる意味」に付け込んだ卑怯な商売をしてる人が居ることに激しく憤りを感じます。
この苦しみを知らず、適当に聞きかじった哲学だけをばらまき、金をもぎ取ろうとする胡散臭いビジネス。
人の命に関わる問題を扱う悪どいやり口。そうやって苦しんでいる人をダシにして、巡り巡って彼らの苦しみが自分の首を締めることなんて微塵も想像しないのでしょう。想像力が欠如してるのでしょう。
この手の人たちには、弱っている時こそ、本当に気をつけた方が良いと思います。

と、あくまで個人の意見。沢山の意見から自分にとって最良と思えるものをその都度拾っていくのが人生と思います。それを選択するのもまた楽しみ。一度しか無いのですから卑屈にならず「アイツより楽しんでやるわーハハハハ!」と開き直るくらいにしましょ。

楽しむことは現実逃避じゃないですから全然。むしろ楽しむことこそが正しく生きること。苦しい真実ばかりに目を向けて打ちひしがれている方が現実逃避です。

というわけで最近受けた質問とか過去に自分が苦しんだ題材だったので掘り下げてみました。
人に、コンテンツに、勉強に、お金儲けに、とにかく何でもいいからハマりましょー
そしたら、この悩みからはもうおさらばです。
きっと数年後に気づくはず「何でこんなこと悩んでたんだろう」って。
それくらい、自分で内向きに悩むには意味を成さないテーマだったりするのですこれは。


■おわりに

 と、ここまでの意見をまたひっくり返すのですが。こうした悩みを抱える人は、作家とかクリエイター傾向にあるみたいですよ。あくまで向き不向きの話として。創作者は世の中の「当たり前」などに疑問をもったり、もっと面白くしてやろうと思ったりの熱量が備わってるみたいです。

つまり、この性分は活かすことも出来るンです。どんなモノでも活かしようはあるわけです。辛く考えるよりも、上手く自分の人生使いこなすことに目を向けるのも選択肢としてはあるんじゃないか、と思ったりするのでした。