20141106
出典:いらすとや

 ちょうどタイムリーに多方面でこの話題に遭遇することがあったので書いておきます。 


 

■人間は環境に適応していく 良い意味でも悪い意味でも

 私達は動物なので、例えば「お前はどうしようもないゴミクズ野郎だ」と延々言われ続けると、自分がどうしようもないゴミクズであると徐々に洗脳、もとい適応していきます。

何度も例にあげていますがアメリカのある大学で生徒を受刑者と刑務官とでランダムに役割を分けて30日間双方の立場を演じさせた場合どうなるかという実験がございました。結果は4日でドクターストップ。
刑務官は過剰な暴力性を、受刑者はひどい自尊心の欠落に至ったとか。

更にnanapiの社長けんすうさんがブログでこんなこと書いてます。

すごくなりたいなら、とにかく自分の周りの環境を作ったほうがいい

"どんな環境でも、できるやつはできる、というのはあるんですが、できるやつっていうのがそもそも特異なんですよね。多くの人は環境に依存すると思っています。"

あとこんな記事もありました。

なぜ人は信頼されると200%の力を発揮できるのか

これも環境を呼び起こした例。「信頼してもらえる」って環境の大切さ。

その他にも多くの人がまず環境を整えることの大切さを訴えています。
あなたが酷く自尊心を失い、辛い毎日を送っているならまず環境を疑うことから。


■環境のせいにしているのが本当に甘えだと思っている人

 こういう人、厄介。私達人間は、基本的に動物です。

1.「環境に左右されないどこでもやってける稀少なタイプ」
2.「今の環境を疑ったことがないタイプ」
甘えを主張する人は大体この2点のいずれかが当てはまるように感じます。

1のタイプは他人がそんなにも環境によって変わってしまう事について理解が及ばない。
「私は出来るのに何故みんな出来ない。甘えやがって。俺は特殊じゃない。皆やればできるのにサボってるだけ」
人間の人格・素養は得てきた環境によってと、元々の遺伝による素養の50%ずつで形成されていると言われています。
努力によって変革は可能としてもその50%がいわゆる社会に不適合故に辛い環境に身をさらされてきた人たちが存在するわけです。人はある種それを才能とも呼びます。1のタイプは概ね50%の人格因子で健全なタイプに部類されると感じます。

さらにその「努力が認められる環境・努力をしなくてはいけない環境」を得たのも運。1のタイプはこの大きな「運」を意識していない人であると感じます。でも存外このタイプはよほどひねくれてない限りは、自分の運を理解しているようにも思います。


2のタイプは自分がその環境の恩恵を受けている、受けてきたことへの理解が及ばない。
「こんな私でも出来たんだからみんなが出来ないのはおかしい」
昔の「環境」ではなく昔の「自分」と照らしあわせるから、それに合致しない人を認められない。
逆もしかりで、環境に引きずり込まれ続けてきた人が「皆があんなに出来る人間なのに、自分はなんでこんなにダメなんだろう」と自惚れた悩みを抱える。全然違う。人は個体差なんてそこまで無い。あるのは生まれてきた環境。
 
1のタイプと違って、2のタイプは50%の遺伝の素養が社会に適合しずらく、元々は苦労して育ってきた場合が多い。この場合、彼らは尋常ならざる努力をしてきている。だから甘える奴を見て腹がたつ。口を挟みたくなる。「甘えんなよクズ(私はこんだけ頑張ったんだよ)」と。
しかしこれも結局「運」なのです。 その頑張らないとどうにもならん環境を得たのも運なのです。

私が自分に対して甘いなぁと思ったのは、「人間=動物」であることを理解せずに、全部「自分がなんとかしなかったから悪い」と思いこんでいたので。相当な自惚れ屋だったなと反省してます。

とにかく環境を手にして運を手に入れる。自尊心を貶められるような環境は性格を更に歪め、卑屈にし、それこそ甘えを生みます。

ちなみに自分の意志で何か決断してきたつもりでも案外環境に左右されているので「これは自分で決めたことだから…」とか思いつめないほうが良い感じあります。





■環境のせいにしよう そのかわり環境を疑おう

 ぜーんぶ環境のせい。良いことがあったら環境に感謝。イヤなことがあったら環境が悪かった。運も含めて。自責の念なんて無駄。私達は環境と運の中を漂って生きているだけ。

その代わり、上手くいっていないのなら環境をちゃんと疑って、改善。環境というのは例えば「地域」とか「家族」とか「会社」とか「常識」とかそういうもの。
今目の前にあるものが絶対で、それに馴染めない自分は愚かであるだなんて思わず、環境整備。本当に、これだけ。
例えば本を読めないならテレビ捨てる。スマホは寝室に封印する。書斎を作って本と机しか無い状態にする。
例えば自尊心がないなら、自尊心を奪うような相手と距離をとって無理に会わない。褒めてくれる人を探す。褒められるようなことをする、ボランティアとかなんでも。
例えば一人じゃ頑張れないなら、頑張ってる人がやってることを真似するとか、同じ環境に入ってみるとか。 

ひどい環境で一定数「私はこんなところで落ちぶれるわけにはいかない」と一念発起する人がいます。それはコミュニティのバランスを保つ上でその人の気性が合致した時に発現するただの現象です。「どうして自分はああなれないんだろう」とあまり悩まない方が良い。あなたにはあなたのスイッチが入る相性の環境がある。 


■「甘えるな」という呪いの言葉から決別しないと、いずれ貴方も「甘えるな」と他人を追い込む人間になる

 ホントに他人に厳しすぎる世の中だなぁと思います。ギスギスしすぎ。もっと楽にならないと。きっと今「甘えるな」と言っている人に影響を与えた人たちも「甘えるな」という呪いの言葉を受け取って、現在に伝えてきたのでしょう。

甘える甘えないとかそういう精神論はどうでもいいから、とにかく環境整備、これに従事することが何よりも得策なのではないかと思ってます。
「甘えんな。やる奴ははじめからやってるよ」真理ですが、だから何だって話。それを「環境や元来の気性によって足元すくわれて困ってる人」に言って何か得るものはあるの?と甚だ疑問です。全員がジョブズになれたらこんなにみんな苦労しないです。そんなことより四の五の言わず環境整備。

環境大事に。

いやほんと。




※追記
逃げることも環境を変える一貫です。
辛くて逃げた先にもまた違う環境があります。
あまりに辛く苦しいのなら、逃げてしまっても良いと思います。
自分を責めすぎないように。周りは存外適当なのだから。