人間関係は好き嫌いの他に、「距離」の関係がある。
距離がはなれると人間はその距離の離れた人間に外部からの数値的な情報などをベースとした評価を下す。一方身近にいる人たちとは些細なコミュニケーションなどに評価が下されやすくなる。あくまで傾向です。
 
最近よく感じることなので、この辺いったんまとめてみようと思いました。ニュース斜め読みは明日改めて。



■動物本能として受け取り、拒絶ではなく、利用方法を考える

 日本の組織構造として現在「弱い」とされているのは、距離の関係を重視した采配を下す傾向にあるから。一昔前はこの組織構造だからこそ良かった、とも言えるんですけどね。

物理的な距離は、正常な采配を鈍らせる。
物理的な距離が近いと「好き嫌い」がはっきりする。
とすると、距離が離れると「数値や実績」を見やすくなり、距離が近くなると「好き嫌いの感情」を見やすくなる。
どっちが良くてどっちが悪いとかではない。
これは人間という本能のレベルでこうなってしまっているのだから、これを利用しない手は無いわけです。



■恋愛を続けるうえで「距離」は非常に大きな意味を持つ

 遠距離恋愛が破綻しやすいのは、お互いを認識しあうものが「連絡手段」しかないからですね。どちらかがこれをおろそかにすると、双方がよほど相手に惚れ込んでいるでもないかぎり長続きしない。それよりも近しくて親切にしてくれる人に心が向かう。

白状だとかじゃなくて当たり前のことですね。恋愛はこの距離の微妙な関係や揺らぎを通してお互いが楽しんだり時に不安になったりを繰り返すことで脳に良い刺激を送るものだと思います。いつでも会えないから打算が生まれたり、数少ない情報を必死に分析したりしながら、そういう行為に脳が幸せを覚える。

かたや幼馴染であんなに仲が良かったのに恋人関係になれなかった・・・とか、一緒に住んで程なくして恋愛感情がマンネリ化してしまった・・・というのは、距離が近すぎて「異性の刺激」ではなく「家族の安心感」になってしまったからでしょう。

こうなるとどちらかが恋愛をまだ求めている思考であれば、結婚の話が「重い」などになってしまって破綻しかねない、と。

ただいずれにせよ恋愛の最初のステップはイケメンであることよりもお金を持っていることよりも「距離」を第一に考えること、なのであると思います。有名な「つり橋効果」なんて、お互い共通点も何も無いのに危機的な生死を分かつ興奮状態を近しい距離で共有することで生まれたり。

そんなわけで見た目をある程度整える努力をしつつ一番は会う機会を増やすことで恋愛関係は発展しやすいのではないかなーと。
 


■日本企業の体制で出世を目指すなら

 体育会系と呼ばれる会社体系においても距離は非常に密接な関係を持っているように感じます。体育会系では贔屓が日常茶飯事です。社会では政治と言いますか。
 
政治で何より大事なのは、政治家がよくやっている「あいさつ回り」ですね。あれって興味ない人にとっては「ただの票稼ぎウザっ」となるのですが、実際票が入るってことはちゃんと「相手の心を掴んでいる」ってことになるわけですね。
 
会社もシステムが運営しているのではなくて人間が運営しているのですから、経営者となっているならば株主を儲けさせること、株主に期待を与えることがやっぱり重要になりますし。社員であれば上司を儲けさせる、上司を楽させる、上司に期待させる、というのはやはり重要ですし。
 
そんなわけなので「体育会系の企業がイヤだ」と思いながら出世に苦しむのはちょっと戦うステージ間違っている可能性があるので、もっと実力評価してくれそうな場所を探すか、その会社での政治事情にもっと頭を向けたほうが良いと思うのですよね。あるいはうまく独立を模索したりとか。

どのみち人間が顔をつき合わせている組織に入る以上は政治は避けられないものです。
 
で、話は最初に戻りまして、そんななかで出世を目指すうえではとにかく「上司に顔を見せる」とか「上司にたくさんギブする」とか。これが大事だなぁと。

日本企業の問題点といわれているのはこの社内政治ばかりに向いてしまってることで、内向きの営業ばかり続けていると組織がどんどん腐敗していく。なので出来る人ほどお客様や取引先にも顔を出す。
 
そんなわけでして「認知してもらう」という、距離を縮める活動は何より大切であると改めて感じる次第です。営業さんってすごいなぁっていつも感心します。私には到底出来る気がしません。

てことで、そんな政治やら営業やらめんどくせえよ!って人はとにかく何か特化する武器を持つことが先決になってきます。プログラミングをはじめとした手に職をつける。とういう理詰めから自分が何を得意としてどうなっていくかを考えて将来設計していくのも面白いと思います。

どっちにせよ多かれ少なかれ営業能力は必要だとは思いますが。



■数値的な判断は距離を置いてから

 さてさてここまでは近しい距離の活用について考えましたが、次は距離を置く利点。距離が離れると相手の顔色などがつかめなくなることから生産性などの数値に目がいきやすくなります。

ちゃんと数値的判断を下さなければいけないところで前述のような人によっての距離感を作ることで正常な判断が下せなくなっていく場合がございまして。これは失敗の本質にて日本軍がアメリカ軍に敗戦した理由だったりもします。

日本軍での作戦の採用などは数的根拠ではなく、担当する人の実績や親密度などから人事采配されていたそうです。馬鹿馬鹿しいと私も思ってましたが、小国ながら諸外国とそれまでもやりあってきた状態を考えると、必ずしもその人事が間違いだらけじゃなかったからこそ、というのもあったのでしょう。

結局量産化体制を進めたアメリカに大敗を期すことになってしまうわけですが・・・。戦争など戦略がものをいう戦いにおいて感情論に沿った人事採用は今一つ合理さを推し進める組織に太刀打ちできない様子です。

この結果を顧みるに、大局的な場面においては距離を置いて考えることこそが大切であるといえます。逆に各々の営業力は邪魔になる場合もあるわけですね。



■匿名性よりも実名性に信用がおけるロジック

 名前があるから信用できる、というのももうちょっとちゃんとひも解いてみると、距離の関係が見えてきます。ネット上で実名や顔を出しているというのはそれだけで現状のネットの有象無象のユーザーよりも距離が近い存在になるわけです。

こうして考えると特にネット上ではこうした人たちが信用を稼いでいくのかもしれませんですし、その距離のロジックをうまく活用しているのやもしれません。


 

■恋愛の達人、ニコニコ動画

 ですが、どれだけ近づこうと、家族となり「当たり前」になれば必ずマンネリ化する。これが世の常だと思います。こうした中でニコニコ動画の経営方針は非常に飽きられない構造になっているように感じます。これは川上さんの経営哲学に由来するもののようで、常に良い意味で期待を裏切り続ける、というものだとか。
 
 安心するデザインにはしない。人は安心したとき、それが当たり前になったとき、見向きしなくなる。人の感情を動かすものは「分かりそうで分からないもの」である、と著書で書かれておりました。これは恋愛関係に求める興奮に酷似しているなと感じる次第です。


 
 

 

■毎日更新続けるブログは何故強い

 SEO的にひっかかりやすくなるなどのgoogle等の特性はもちろんございますが、読者の毎日のルーチンに「あなた」が入り込むということは、それだけで読者さんのテリトリーに踏み込むということになります。つまりここ最近ブログ更新がまちまちな私はちょっとダメだなということです。うむむむ。


 

■最近の様々な分野の人が「自伝」を書く理由

 たとえば漫画。ブラックジャック創作秘話が売れたなどの流れもあるかもしれませんが、これまで漫画というのはコンテンツで語れ、というような内容だったように感じます。

ところが最近だと元成人向け映像コンテンツ出身の峰なゆかさんの「アラサーちゃん」やら、前述したブラックジャック創作秘話やら、アオイホノオやらかくかくしかじかやら、ジブリでも「夢と狂気の王国」なんて作品を出したり。

WEB記事でもこれまで「経営者はかく語り」みたいな自伝本くらいでしか見かけなかった「とある○○さんんのサクセスストーリー」みたいなのがバンバン飛び交っています。

SFをはじめとした創作ストーリーが昭和から平成初期にかけてヒットを飛ばしていたころに比べると、現在は随分とこうした流れが加速しているように感じます。これは結局のところ、創作話のステージにたくさんの人が現れてしまったことでコンテンツの過剰供給が行われてしまったわけです。そうなるとコンテンツ製作者は「より良い作品を作るか、別の道を探す」という岐路にたたされてしまったわけですね。

こうした中で「自伝」というのはコンテンツとして既存のものに比べて「顔」が見える。「心の距離が近い」。漫画家さんを目指す人が増えたり、漫画家そのものに注目が集まり始めたなかでは過剰にあふれた海のものとも山のものとも分からぬ有象無象の作品をかき分けるよりも「この作品作ってる人ってどんな人なんだろう」という、もっと距離が近いモノに興味があつまる。



 

AKBなんかも良い例で、CDはいまや握手の引換券です。「アイドルなんて遠い存在」から「会いにいけるアイドル」という「距離」を縮めたのはすごい発想だなと今でも感心します。またそのCDを購入することで「投票権」を得るというのもまた「距離」ですね。
 

■人間関係はあくまで信用の積み重ね そこから今後の「距離とお金」の関係について考える

 お金は信用のケジメとして用いられるだけで、双方に素敵な信用関係があればそもそもお金が無くたって大丈夫なわけですね。たとえばこういう視点から考えると、今後一番信用やお金を得やすい人というのは、たくさんの人との距離を近しく持てる人です。
つまり「顔や実名を公開している」「信用の置ける活動をしている」「たくさんの人へ信用の置ける情報を発信している」「たくさんの人にとって嬉しい行いをしている」「たくさんの人と出会っている」という人に信用やお金が集まるということになります。
 
つまり私のような奴には信用は集まらないってことです(笑)もし私のような活動でビジネス考えているなら匿名部分は真似しちゃダメだってことです。もちろん実名を出せばリスクを背負うことにもなりますけど。
 
 
 
 
 

■こうした考えは計算深いのだろうか?

 と、ここまでとりとめなく書いておいてなんですが、私はこうした計算高い人間との付き合い方というのはなんだかいまいち好きじゃないです。打算ばかり考えている人って付き合うの疲れます。なまじ距離の計算のしかたが「分かってる」感じを出されると、のど元に何かつっかえる感じがしてイヤになる。

でも、同時に人間のこと分かってない人の「合理化しか考えていない」ような思考も苦手です。だってそれ、「私」じゃなくても代替効くじゃないですか。それって人間としての特性が無くなる所謂コモディティ化を良しとするわけです。

私たちは機械にはなれません。感情を持つ動物な以上。
であれば、人間のそうした感情を知った上で行動できる人というのは良いなぁと思います。人間なんだかんだで「この人、私のこと分かってくれている」ということにうれしさを覚えるわけですから。だから詐欺が成立したりもするんですけどね・・・。

 
 

■知っておくことは自己防衛にもなる

 というわけでして、受信側としても発信側としてもこの「人間の特性」をうまく活用していくことで人によっては色んな不都合が緩和されるのではないかなと感じました。特に最後、詐欺について触れましたが、詐欺師は人の心を掴むプロです。逆に言えば不自然なまでにそこが徹底しているわけです。

お得な話などがあって、相手のことがとても信用できそうだ!と思ったときこそ反対意見として、「うまく心の距離を掴んできてるだけじゃないだろうか」と身構えてみることで自衛できるのではないかと思います。
 
そんな感じで物理的な距離と心の関係は色々なことに活用できる、と思うのでありました。特にネットインフラの拡充やスマホの普及により、これから先さらに既存ビジネスと「距離」との関係は、いっそう強まるのではないかと感じます。ビジネスにおいてはまだまだこの「距離」についてはたくさんのチャンスが眠っているように感じます。

なんだかとりとめなくなってしまったのでいずれまたこのテーマはちゃんとまとめようと思います。距離を活用すればきっとたくさんの発見が生まれる、はず。

いやほんと。





※最近本当にまとまった時間がとれなくてメールの返信が滞っています。 中身はちゃんと読んでおりますので気長に返事待っていただけると幸いです。