20140902
出典:ピープルズ無料イラスト素材


【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない
ということで普段お世話になっているフォロワーさんからこんな記事が流れてきました。私も数カ月前に無敵の人についての記事を書いていた以上、追加情報には触れておきたいなと思いまして。


 

■気になる点を上げてみた

・虐待について
・安心、愛着について
・努力という認識
・オタクとはネトウヨとは
・埒外の民で浮遊霊
・一冊の本との出会いが自分を変えたということ

列挙してみて感じることは、これは私の一つの可能性だったのだろうな、という事。
ということで一つ一つ紐解いてみます。


・虐待について

 彼の受けた虐待は身体的暴力ではなく、精神的な暴力がメインであったということ。心の痛みというのは表面上には現れない。彼の受けた虐待は「子供を自分の欲望の補填のために乱用する」というもの。私も大いに心当たりがあり、この辺深く共感した。

で、虐待の果てにあるのは「過剰な承認欲求」と「強烈な依存心」と「自己不在の他者主体の世界」です。



・安心、愛着について

 私も愛着障害というのは何度も記事に取り上げていますが、親からの安全基地を得られず愛を貰えない環境にあったということ。私は2種の親を経験していて、過保護故に何も自分の考えを尊重されない親と、親に基地も愛ももらえずただのウンコ製造機として扱われた時期とを経てます。

で、ここに生まれるのが「圧倒的な自尊心の欠如」ですね。自分に何の自信も持てなくなる。





・努力という認識

 自分不在な中では努力に意味を見いだせなくなるわけですね。「自分のため」じゃなくて「誰か」とか「何か」のために「結果を出す事」が努力の認識になってしまう。


・オタクとはネトウヨとは

 安全基地も得られず愛も得られず自分の空虚さを穴埋めするために、ゲームやアニメなどは逃げ道あり薬であると。ネトウヨも然り。こうして強固な横の糸によって社会の参加をかろうじて果たす。

これはちょっとした私の戯言。
恵まれた人たちにはゲームやアニメや漫画だけが心の中で唯一自分のアイデンティティを満たしてくれるなんて感覚は分からないでしょう。サブカル文化を批難し、こうした文化を好む人たちを一様に犯罪者予備軍などと呼ぶことがどれほどの悪意であるかと、自分たちの言葉の刃の鋭さを考えたことすら無いのでしょう。安全なところから市民にマシンガンぶっ放してる状態だなんて思わないのでしょう。装備も与えられず砂漠に放り出されてたった1人オアシスの陽炎に希望を見て、一時の安寧を感じる。現実から目を逸らしてるんじゃないんですよ。あまりに苦痛すぎる現実に心がめった刺しにされているから麻酔をかけてるんですよ。ネトウヨに染まり、加虐的な言論に走る人も、満たされない心のどうしようもない闇を外に発散することでかろうじてヒトとして意思を保ってる。
こういう前提に立てない人が多いから、いつまでもオタクは気持ち悪いなどで一蹴しようとする。と、脱線しすぎました。


・埒外の民で浮遊霊

 これらの要素が集まった結果、埒外の民であり浮遊霊であり、ようはもう存在してること自体がどうでも良いみたいな状態になっているということで。何を持ってしあわせかという定義はしませんが、幸せな環境に居る人にはまず分からない感覚だよなぁと思う次第です。


・一冊の本との出会いが自分を変えたということ

 愛も無くアイデンティティも無い人にとって人生の答えのようなものに出会える瞬間があります。彼の場合今回の文章を書くにあたり、一つの本に出会ったようです。自分の人生の「落とし所」を見つけたわけですね。私の場合これは「愛着障害」に当たりました。

自分があの本に出会った頃の事を思い返すと確かに、自分の人生の説明書に出会い、全てを悟ってしまった感覚に陥る快感と脱力と絶望感というのは凄いものがありまして。被告もまさにそういう心境だったのであろうかと共感を覚えた次第です。



■こうして生まれる個とは

「自尊心欠落」「他者中心のアイデンティティ」「歪んだ承認欲求」「強烈な依存心」を兼ね備えた、完璧に社会が求める「空気」となったわけですね。
そんなもの求めてないだなんて言うのは誠に愚かしいわけです。各々がどこかで目隠ししてきたツケを明確に支払った存在なのですから。

また、挙げてきたものには対になる言葉が存在し、現在それがのさばりながら多くの「負」を生み出してます。彼のように真っ向から全て「負」の部分だけを受け付けてしまうと、本当に地獄にしか見えないのです、この世界は。

別にいまに始まったことじゃなく。彼だけが特別なわけでも自分だけが特別なわけでもなく。



■彼を誰が批判できようものか

 あまりに許容量の狭い、損得ばかり考え目の前の悪を晒しあげるような社会で、彼のような例は生まれるべくして生まれた存在。私だって選択が違っていたら行き着いていたかもしれない存在。「理解出来ない」と耳をふさぐなら今後も「無敵の人」は生まれ続けることでしょう。事件の上っ面だけをみて「被害妄想」「八つ当たり」「自己責任」などの言葉を投げつけるのであれば、今後も社会の暗部は更に膨張していくことでしょう。





■確実に起こる議論のすり替え

 「じゃあ自分がやられたらどうするんだ」「被害者の心の負担はどうするんだ」

議論すり替えの常套句として使用されるものです。コレについて実害を被った当人たちがそれぞれ被告に向けて考える問題であり、このような言葉で言論封殺しようとするのはそもそも問題の本質に目が向いてないわけでございます。




■無理ゲーな世の中で真面目系クズの烙印に苦しみ、無敵の人になりかけの人へ

 私は小中高12年間地獄の孤独と屈辱をクラスメイトならびに教師や学校親から受け、生きる価値も存在意義も見いだせないまま空気として過ごしゲームに依存し、社会に出てからも加虐性で足りない自尊心を保とうとして結果として会社の上司に自尊心を踏みつけられ奴隷のように数年間扱われ、ようやく出会った愛着障害という本で自分の人生のクソっぷりならびに自分のあまりのクズっぷりを知り絶望して、そうしてようやく20歳後半から自分の人生をゼロから積み上げなおすに至りました。
ようやく自分の人生を取り戻しました。
つまり私も「普通の人」達が出来るパーソナリティの生成なんてロクにされないまま今日まで来てしまいました。

私が無敵の人として人生終了しなかったのは、それまでに奇跡的な確率で、人や本に出会ったからだと思います。
両親が再婚した時に出来た義姉や、専門学校で出会った仲間や先生や、入院した時に出会った気さくなおじさん連中や、今の奥さんや。

惨めで惨めで何度も死のうと思って死ねなかったけど、そんな中で私がこの理不尽な無理ゲーの中で自分の人生を取り戻すために必要だと思える事柄を列挙致します。

「とにかく沢山の人に出会う事」
「沢山の本に出会う事」
「醜く恥ずかしく生きる決意をすること」
「セコく小賢しくずる賢く、でも自分を守るウソはつかないこと」
「クソでクズでゴミな自分を許すこと」
「自分だけは自分のこと信じてやること」
「良い環境を手に入れる事に集中すること」
「強欲に貪欲に利己的に、自分の幸せを求める事」
「全部許すこと 過去という重荷を捨てて未来だけ見る事」

もういいのです。他人に人生振り回されるのは終わりです。全部、自分で手に入れていいんです。
残念ながら現状は、弱さを食い物にしている会社や人は山ほど居ます。
踏み出さなければ、引き続き痛めつけられるだけです。なので自分で一歩踏み出しましょう。一歩自分で踏み出せばまた沢山傷つくかもしれませんが、別に今更じゃないですか(笑)もう痛めつけられる事なんて慣れてるはずです。私達はとっくに無敵なんですから。
自分の人生取り戻せ!

いやほんと。




なんだか全体的にポエムみたいになっちゃった…



ちなみに以前取り上げた無敵の人の記事についてはこちら

他人事では済まされない「無敵の人」になった時、どうしたらいいのか

落ちこぼれで負け犬なクズの戦い方