20140819
出典:いらすとや
センスが良い人悪い人。その才能はどう分かれていくのだろう。天賦の才を持っていなければやっていけないのか。

 私は専らデザイン業をメインとして動画制作やらなんやら様々な仕事を請け負ったりしております。最近は作業全般を徐々に任せるようにしていっているのですが。

で、私は全くセンス無いです。しかしセンスが欲しかった。どうしてこんなに凡人なのかと落ち込んだ時期もありました。そうした中でセンス有る周囲の人や、私自身を振り返ってみて、センスどうやって磨くのか。凡人はどうしていけばいいのか。まとめてみました。



■元々無いセンスから何かを考えようとしても時間の無駄

 アイデア出せと言われてうーんうーんと唸って自分から放り出そうとする人は往々にしてかけた時間の分良いものは出せていない傾向。



■センスの良い人程沢山のモノに触れている

 センス有る人を見てきて思うのは、とにかく色々な新しいものに絶えず触れ続けているということ。
それは、同じ業種にとどまらず。多種多様なモノを見たり、経験をしたりしている。
感性の磨かれる・インプットされる環境作りを自分で行っている。



■センス無い人ほど「自分のオリジナル」で足踏みする

 センス無い人が陥りがちなのが「○○と似てる」というのが不味いと思って、なんとか自分オリジナルを考えなければと躍起になっている傾向がある。



■良いものを沢山パクればいずれは自分の力に

 自分のオリジナルというのは様々な作品に触れてきながら現在の自分の中で統合した要素でしかなく、より良質なオリジナルを作りたいのであれば、まずは良い物を模倣するところに始まるわけです。

ところがオリジナルじゃないとダメだと囚われている人はどうにもここを敬遠して「先人たちは自分で開拓してきたんだ」とか格好いいこと考えてしまうわけです。

かっこ良く見えてる先人たちはそうなるための土壌があったからこそ花開いたわけでして。彼らだって沢山のものを吸収してきて現在があったりします。 

つまりパクることで自分の中にセンスを落としこんでいけるのです。そうしてより良質な自分オリジナルが形成されていきます。

最初は猿マネで結構。真似した事で吸収できるものは計り知れません。



■なんだかんだで経験数がものを言う

 つまりセンスは突然光り輝くわけではなく、じっくりと磨いていくものであると感じます。何か新しいデザインにたどり着こうとした場合にも、過去の例を省みながら「ここが抜け道かもしれない」というものを見つけていく。

センスは天才にしか無いから凡人は博打で当てるしか無い、というわけではなくて天才たちは努力の才能がズバ抜けているわけでして、天才に手を伸ばすためには彼らがいかにその才を手に入れるための環境づくりをしているか、どういった種類の努力をしているのかについて焦点を当てていくと幸せになれると思います。



■デザイン問わず言えることでして

 コミュ力本気で磨きたいならまずはコミュ力高い人の模倣からはじめて、一つ一つの言動の意味などを吸収していきます。

 良いビジネスパーソンになりたければ、そうした方々を参考にしたり本を読んだりしながら模倣しつつ吸収します。

 スポーツで良い成績を残したいならば良い成績を収めている人たちの分析をして良い所を模倣したりしながら吸収します。

センスを磨く=学習であるように感じます。最初は何事もカタチから。芸術的な分野に行くとこの辺が「君はセンスが無いなぁor有るなぁ」みたいな言葉で終わってしまう。

違います、センスは元からあるものをどうするかじゃなく、日々磨くものです。

で、多分本当の天才というのはそんなものを磨いている自覚すら無く、呼吸するかのように生活全てが自分のセンスを磨くためにあるような人たちです。

まぁそんな人達には敵わない。敵わないが、カタチだけでも真似して、良い所を吸収することが出来る。




■天才になろうとしなくていい

 映画「アマデウス」という作品。
天才・モーツァルトとその教育者サリエリが主人公の物語です。
天才と秀才の物語。
モーツァルトは神に愛された人間
サリエリは神に愛されたかった人間
天才と凡人の互いの苦悩を描いた至極の「作品※」です。
(※史実のモーツァルトの死因とは別解釈で物語ラストが描かれている)

それで、この作品でサリエリはどれだけ努力してもモーツァルトには敵わないわけですね。頑張って頑張って、人の何倍もの努力をして音楽に全てを捧げているサリエリ。彼は間違いなく秀才タイプ。しかし、モーツァルトは女と遊びふけり、酒呑まれながら奇抜な音楽をどんどん作り上げてしまう。

モーツァルトはまさに生活の全てが彼の感性を磨くためにあるような描写がされ、一方でサリエリはひたすらに音楽を研究し、努力を重ねていた。というようにも捉えられます。

じゃあサリエリはモーツァルトの真似をしていればよかったのか?といえば、多分サリエリの性格上そんなことしてたら精神に異常きたすでしょう。

どれだけ頑張っても天才にはやっぱり天才になるべくしてなる性格や土壌や環境が天文学的な確立で一致したからこそ、生まれたりする。

天才はどうしたって天才なわけでして、多くの凡人はその天才の輝くセンスを拝借し、自分のものに吸収し、自分なりのセンスを育てていくしかない。

でも、それを恥じることは無いわけです。良い物から学び、自分なりの良い解釈を作り上げていく。それは先人たちがずっと繰り返してきた文化です。

サリエリは天才と同じ時代を生きる劣等感や屈辱に身を焦がしながらも教育者としてモーツァルトに接しなければならないという苦しみの末にある悲劇の決断をしてしまうわけです…。

が、それは映画の演出でありまして、実はサリエリの曲は後世で再評価されたり、存命中も経済的な成功を収めているらしく、彼の努力はしっかりと実っていたわけですね。

というわけでして、万人が天才になれるわけではないですが、天才になれないことを恥じることは何ら無く、ただ努力にはしっかり意味があるということですね。



■まとめ

 最後のアマデウスで脱線してしまいました…。センスを磨くというのは一朝一夕でどうにかなるものではなく、しかしながらそれぞれのセンスの良い人の色々な面を模倣したりして研究することで、十分磨いていけるものであると思う次第でありました。

自分オリジナルがヘモいのは、まだまだヘモいものしか学んでないから、積み重ねていないからだけであり、原状に落ち込むよりも日々の積み重ねを何より大切にしていけば、きっと良い結果が待っているように思えます。

いやホント。

アマデウス ディレクターズカット [Blu-ray]
F・マーリー・エイブラハム
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21



アマデウス超面白いですよ。

あと、アイデアというのがいかに生まれるかについて分かりやすく書かれたこちらの本もオススメです。

アイデアのつくり方
ジェームス W.ヤング
CCCメディアハウス
1988-04-08



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センスの磨き方 初級編