20140815
出典:いらすとや
嫌われたくない一身で振る舞ってきたはずがいつの間にか透明人間に… 


 あんまり「嫌われたい」って人は世の中に居ないでしょうし、大体の人は自分に好意がむけられるようになりたいはずでありまして。ところが真面目系クズのような半端に世渡りテクを覚えてきた人はいつの間にかこの「嫌われはしないがあんまり好かれもしない」習慣に陥っている気が致します。

それはあまり社会を生き抜く上で好ましくない状況になりつつあるので、ちょっと見なおしてみるのが良いのではないかなーと。


■「嫌われたくない」が基準で何事も後手後手になる

 話しかけてもらえれば嬉しい人嫌な人も居るわけですが、その悪い方向にだけ目を向けることでいつの間にか自分から一切相手に話しかけられないようになってしまう。いつの間にか無関心状態に。

抜本的な解決方法があるわけではないけど、普段話しかけてくるような人には自分からも話しかけるくらいのことでいいじゃないかと。

ちなみに人は無関心になって相手が何考えてるかわからなくなると「キモイ」とか「怖い」などの記号でくくり始めるからマジで後手後手姿勢はやめたほうがいいです。

でも相手に分からない事や行動ばっかりしててもやっぱり「キモイ」になるので難しいところですね。



■全員に嫌われるのは難しい


武田双雲さんの対談を引用したイケタダハヤトさんの記事。一週間試しに「どれだけ嫌われるかゲーム」をやってみたけど意外に嫌われないということで。まさにその通りで、本当に全員に嫌われるっていうのは難しい事。

逆に言えば誰からも好かれるというのもまた難しい事。これをまず理解していないと誰とも恐る恐るの会話になってしまう。

明確な悪意ばかりを振りまかない限り、100人が100人貴方を嫌うなんてことはまず無いのだけど逆に超完璧に演じたって100人が100人貴方を好きになることはない。

そんな当り前の真理を。



■意見がコロコロ変わる

 八方美人になると備わる習慣。結果として意見の軸が「○○という意見」ではなく「誰かに嫌われたくない」になっているので、話の一貫性が無く、話をしても無駄に思われてしまう。

どうせ何言ったって誰かからは嫌われるのだから、自分の思うことちゃんと言うだけで良いんですけどね・・・。



■目の前の人に好かれようとばかり考えている

 世の中は目の前の人だけで回っているわけではないので、合わないと思ったら自分の意見曲げる必要もなく「ああウチら合いませんね。それでは。」で良し。



■相手に警戒心ばかり持つ

 こいつは何を言ったら嫌な顔するんだろう、と石橋を叩く人間関係になってしまう。叩かれる石橋の身にもならなくてはいけない。おずおずと踏み込むのをためらっている間に、相手はもっと居心地の良い場所へと旅立ってしまう。

意見の合わなさ価値観の違いからの意見の相違は誰にでもあるけど、石橋を叩きばかり続けていたらそこにすら踏み出せなくなってしまう。

何より警戒心は顔に出る。態度に出る。声色に出る。フレンドリーな人とフレンドリーな関係になりたいのは当り前なのだから、相手を警戒していては好かれるはずもないのであります。



■どんな立場になってもどんな意見を言っても、貴方を好きになる人は居る

 こんなえっらそうなクズのログでさえも好きだと言ってくれる人は居ます。当然何偉そうなこと言ってるんだという意見もあると思います。

ブログ書きながらこれが結構長年ウジウジやっていた気持ちに踏ん切りをつけてくれました。合わない奴とは合わない。合う人とはなんやかんやで合う。ある程度合わせるのはいいけど、無理してまで合わせることもない。

そんなあたり前のことをようやく悟ってきているのでありました。



■好かれたいなら嫌われること

 嫌われたくない人は、つまり「好かれたい」人だと思います。好き嫌いとかじゃないって人は「人間関係はどうでも良い」って人だと思います。どうでも良いと思っていながら嫌われるのが怖いと思ってるならやっぱりそれは好かれたいって思ってることです。

「好き」の反対は嫌いじゃなく
「好き・嫌い」の反対は「無関心」であります

悪意ではない意見で「多分これ言ったらこの人に嫌われるだろうな」という部分をどんどん言っていきましょう。そしたらその人には多分嫌われるかもしれないけど、別の人には好かれる。そんなものでございます。


■嫌われたくない人が勘違いしてるシンプルな事柄

社 会 も 友 人 も 赤 の 他 人 も そ れ ほ ど 貴 方 に 興 味 が 無 い

例えばベネッセの個人情報流出
例えばPC遠隔操作事件
例えば佐世保の女子高生殺害
例えば野々村議員の号泣会見
例えば理研笹井氏の自殺

割とどれも大きな事件として扱われましたが、今私がここに書くまで毎日興味持ったまま覚えてましたでしょうか。それぞれの人達の顔や年齢や経歴など覚えてましたでしょうか。1年前の大きな事件は何個覚えていますでしょうか。全国報道される事件レベルでこの程度の記憶しかしていないのです私達の脳は。それだけ、大した興味が無いんです、いろんな事に。自分にだけ特別目が向けられている、なんてありませんのでご安心を。





■「好き」だけど信用出来ない人 「嫌い」だけど信用出来る人

 人間て不思議なもので、嫌だなと思うことまで全部あけすけに話してくれた方が「嫌いだけど信用は出来る」ってなる場合があるのです。

好き嫌いの先にはもっと大切な社会動物として「信用出来るか出来ないか」がございますので、嫌われたくない人はもうちょっとこの辺切り離すことが出来るようになれば幸せになれるのだと思います。

信用出来る人といえばなんでしょう。
約束を破らない。
自分を曲げない。
ウソをつかない。
世の中の「信用出来る」って人の特徴を沢山サンプリングしてみましょう。

学生時代は閉じられたコミュニティ内なので、双方が付き合う時間が長くなることや学習は個々の力に比重が置かれることから、「一緒に居て楽しい」とか「好き」とかそういう表面的な感情の居心地の良さを求めます。

しかし仕事関係になってくると好き嫌いでは仕事は回りませんから、プロジェクトを終わらせる信用とか納期を守る信用とか、確実に売上を出す信用とか、人と人をつなぐ信用とか、そういうのが強くなってきます。

嫌われたくない人はこの、学生から社会に出るにあたっての人間関係の比重の置所を切り替えれない場合に、社会に出てから学生時代以上に苦労することになります。


■まとめ

 というわけで好き嫌いの構造を理解すると共に、それよりもっと大切な人間的信用の方に目を向けて、「今目の前の人に嫌われたくない」ってリスクの敬遠が、いかにより大きなリスクを自分に課しているかというのがお分かりいただければと思いました。

好かれにくい性格というのは家庭環境や育ってきた環境に起因するのである程度は仕方ない。ピエロを演じてもいいんですけどね。でも、人と人との信用というのは好き嫌いを超えたもっと大切なものだなぁと感じるわけでございます。

好き嫌いも大事だけど、信用の積み重ねがもっと大事でございます。

いやほんと。