20140813

出典:いらすとや

 前回の「コミュ障・発達障害が会話で何故失敗するのか その時脳内で起こっている出来事と改善方法について」ではコミュ障の失敗の方程式を解説致しました。で、この記事を読んだ奥さんに指摘されたことがあったので、記録しておこうと思いました。


 

■何故戦う事前提なの

 前回の記事で私は、魔球の開発を勤しんでるから相手がキャッチできない、もっと普通に相手に投げ返す、その基本からやり直す必要がある、というような旨を趣旨を書きましたが

何故戦うこと前提なのか

という的確な指摘を受けました。そうです前回のは投げ返すことを主題にしてたため傾倒した内容となっておりました。



■相手の話をキャッチしないからモテない

 はい、話し上手は聞き上手。

キャッチボールは投げる技術と同時に受け止める技術が必要不可欠。自分で言うのもなんですが、会話下手な奴は本当に相手の言葉を受け止めるのがヘタクソ。というわけで失敗事例を考えてみます。

・先走り型


A「暑いね」
B「ああ、近くにおいしいかき氷屋が出来ましたよ」

相手が投げてほしそうなコースを勝手に予測して投げるタイプ。相手が望んでない会話だと破綻したり、相手の話題を潰す可能性。

A「暑いね」
B「暑いですねー嫌になりますねー」
A「冷たいものが食べたくなるね」
B「ああ、近くにおいしいかき氷屋が出来ましたよ」

話しかけてきた相手のペースまずは合わせることから。



・便乗型

A「最近嫌なことあってさー」
B「私も嫌なことあったの ○○がね~~~」

「嫌なこと」を主題に、自分も面白いネタ持ってるぞと相手のボールを避けて同じ速度で返すタイプ。私のボール投げ返して欲しいんだけど…。

A「最近嫌なことあってさー」
B「何々?」
A「□□が△△で…」
B「うわ、大変だねぇ」
A「でしょーホント勘弁してほしい」
B「私も嫌なことあったの ○○がね~~~」

こんな感じで相手が話したいと思ったことをまずは当り前に受け止めることから。



・割り込み型

A「○○っていうのがあってさー…」
B「あー聞いたことある。△△のアレだよね」

相手が話している最中に、自分の主張をねじ込むタイプ。相手のボールが自分の手に届く前に既に同じボール投げちゃう。

A「○○っていうのがあってさー…」
B「うんうん」
A「実はこれこれこうだったんだよね」
B「あー聞いたことある。△△のアレだよね」

知っているとしたって、相手は話したくて話しかけてきてるんだから受け止めることは怠ってはいけないわけでして。


という感じの会話に心当たりがあって「自分が面白いこと言えないからコミュ障なんだ」「上手く投げ返せないからダメなんだ」と勘違いしている人は、まずボールの投げ方よりも受け取り方の訓練をした方が良いのかもしれませんです。

全部身に覚えがあるので血反吐が。





■会話で頑張ろうとしない

 ところで会話を頑張ろうとしてるのは何故なのか本質に帰る事が重要な様に思えます。サンプルが無いので自分が会話頑張ろうとしていた理由。

会話を上手くこなしたい→話が上手いやつらは人気がある→うまく話せるようになれば評価されるはず→面白い話出来ない奴はいらないと思われているに違いない→面白くないことを話してしまうのが怖い→面白くなるよう頑張って話さなければならない

こんな感じの呪縛にとらわれておりました。何の練習もしてこなかった人生のくせに話の上手い奴のフィールドで戦おうとしてしまっていたわけでございます。しかも視点が極端に狭まり、面白い話出来なきゃ自分には価値がないと、自分が主役になれないと焦っておりました。そんなだから余計に空回りするばかり。

これの呪縛を捨てるにあたり必要だった考えが
・完璧主義を捨てる
・自分こそが物語の主人公な意識を捨てる
・頑張らない
でした。

・完璧主義を捨てる

 失敗恐怖症に悩まされておりましたが、ある時から「まぁそんなこともあるか。教訓にしよう。」と変換かけるようになりました。これは何か新しいことしようとしたときに大きな足かせになっていましたが今は随分気が楽です。この辺は別記事にもまとめてます。

・自分こそが物語の主人公な意識を捨てる

ゲームとかだと何でもかんでも自分でやれちゃうわけです。長い間、現実大嫌いの腐れ廃ゲーマーだったので、現実でも自分は何か凄いこと出来るんだと思っちゃってたわけでございます。そして、そうなれない自分の解離性に苦しんでいた。
しかし自分の中で風呂敷広げようが先立つ金も知識も信用も無いのに何も出来るわけがなく、思い悩むだけ無駄だと気付いてからはただただ勉強。おかげで社会に参加してる自覚を持つことで自分1人が主人公気分から開放されました。
それが結果的にコミュ障的な面をも補助してくれました。


・頑張らない

一番大きいのが「私は何事も頑張るべきだ」と思っていたことです。そして、同時に頑張り続けられない自分が怖かった。しかし、自分一人が頑張ることで何かが劇的に代変わるわけでもなく。むしろ肩の力抜いてひょいひょいと世の中渡ってる奴のがよっぽど人生を謳歌してたわけです。頑張り依存の私はそれを見ても尚「あいつは運がいいだけだ」と僻んで頑張ろうとして、逆に頑張らない奴にイラついたりして…

なんてことがあってある時「あーもう頑張らなくていいや、適当に変化に合わせていこう」となってみたら、楽だし上手くいくし何か情報商材の人みたいですけどほんとに楽ですわーこれ、肩肘張ってたって得るものは劣等感や恨みつらみ僻み根性でしたし自分のクビを締めるストレスだけでした。

参考:「人間なんてそんなもん」って落とし所を見つけると、生きやすくなります



というわけで会話も何事も、頑張らない。何が求められてるかだけ察知する。自然体。何より自分が楽しいか。ここに行き着くのでありました。悪い癖が出る度に最近はこれを考えるようにしています。



■まとめ

 あんまり自分の事話そうとして肩肘張って頑張って話そうとするよりも、ふつーに相手のボールをまず受け止めるところからコミュ障は改善するんじゃないかなーって思いました。

別に自分から必要以上に話しかけなくたって、本当に必要だと思ったら話せばいい、そんなもの。元々うまい人は上手くなるような環境で育ってきたというだけ。あとそれはつまり練習さえすればいつかは身につくものであるということ。

自分を誇張せず、現状は「まぁ自分こんなもんだよね」というありのままの事実に目を向け、そこから適当にやっていけばいいだけ。適当に適当に。そしていざ頑張りどきに、少しだけ肩に力入れればいい。

というわけでコミュ障改善はあんまり頑張らない位の気持ちでやっていくのが良いなぁと思いました。きっと、焦っている人にほど伝わらないとは分かっていますが、それでも。

いやほんと。



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読了次第レビュー書いてみます。