出典:いらすとや
心配事の的中率は何%だったか考えてみよう
周囲に居ませんでしょうか、あるいは自分自身がそうなっていませんでしょうか。やたらと赤の他人のやってることや将来に対してなどについてとやかく心配して口出ししてしまう症状。
私は身近にそうした人が居たせいか、一時期自分もそういったような思考に陥ってきました。そしてふと我にかえった時、この症状はどうしたらいいのか、そもそも症状なのか、性格で片付けることなのか、など色々と考えてみました。
■暇人症
で、出た結論はコレです。暇人症。他人のこと考える時間的余裕がある人。
■時間的余裕って?
当人にそんな事言えば、とんでもない反感を食らいます。残念ながら当人に一番その自覚が無いので。しかし、他人の心配ばっかりしてる人はほぼ暇人です。時間に余裕を持ってるのです。
■「有限な時間を使う」概念が乏しいと、自分に対する時間の使い方が希薄になる
私は、暇な人というのは限られた人生の時間をただただ貪っている人のことを指すと考えております。つまり、忙しくしていようとも部屋でぼんやりしている人であっても、時間のリソースを考えないままに行動しているのであれば、一様に暇人。
■他人のこと考えてる暇や、起こっても居ないこと心配するくらいなら自分の心配しよう
もうずーっと昔から言われてる事ですね。でも、だいたいこういった言葉は暇人には届きません。だから、もう少し根拠を考えましょう。
自分の健康も管理していない人に、命大事にしろよと言われても説得力無いですよね。
自分でお金の管理も出来てないような人に、家計簿ちゃんとつけろ、と言われても説得力ないですよね。
20年先の事心配してても、20年後がどうなってるかなんて想像も出来ないですよね。
今、トイレが突然詰まって流せなくなったらどうしよう、なんて毎回考えないですよね。
そもそも起こってもいないこと、考えても仕方ないことにいちいち時間使って脳みそを圧迫してもしょうがない。
■心配はすべきである、という論に対して
色々と、起こりうる不測の事態に対応すべきであることは分かります。が、今回例に上げるような他人の心配ばかり、起こってもいないことの心配ばかりしている人は、決定的に自分の足元が見えていない。
■無駄に高いプライド
そしてもう一つ言えるが、プライドが異常に高い事。心配事とどう結びつくのかといえば、ようするに他人と比較して少しでも自分が上位に立ちたかったり、あるいは心配事をすること自体にアイデンティティを見出して、「自分はこんなにいろんなことを気にかけている」という自己満足に陥っている可能性が。
■他人の心配していて何か得るものはあった?
これは私の自問ですが、結論としては、ただたんに自尊心が満たされただけで、外的に何も得られるものは無かったどころか、他人にウザがられました。「なんでお前にそんな心配されなきゃならねーんだ」と。
■心配事が当たりやすい人
先見性があるとかあまり自惚れない方が良いです。分かってるなら未然に防ぐ行動をすべきだし、別に関わりあいになりたくないならさっさと手を引くべきだし。そもそも自分が察知してるつもりのレベルの心配事なんてものは周囲も察知している可能性が大。
結局心配事なんて状態は、手っ取り早く解決することが重要なのです。溜め込めば溜め込んだだけ、自分の中で勝手に膨らんで、勝手にストレスになって、勝手に自分の重荷になってしまう。
心配するくらいなら、行動あるのみ。自分のために時間を使うべき。
■まとめ
心配したところで何かが前に進むわけでもない。行動が伴わなければ、心配はただ心に負担をかけるだけ。思い悩んでも仕方ない事なんて山ほど溢れてる。そんなことにいちいち思い悩んでいたら暇人だと言われても仕方ない。自分の足元を見て、自分のことをもっと心配してあげるのが良いです。
いやほんと。
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