出典:いらすとや
人生の限られた時間の中で、どうせなら上達しやすい思考は手に入れたいですね
「勉強するぞ、自分が生き残るにはそれしかない」と思ってはや1年半が経ちます。勉強すれば、日々勉強している人たちと知り合う機会が増えるなぁというのは率直な感想です。就職してから勉強怠ってた自分、それと相反するように業界バブルで舞い込む給与。
これが国全体だったらそりゃ感覚もマヒするよなとは思いました。
と、これは今日は本題ではございません。
勉強している人たちと接することで自分自身に対しても言えるのですが「上達しやすい人」「上達しない人」というのは結構明確に出てくるものなんだな、というのが見えてきました。
今後自分自身が学習する上で見返したいログとして記しておこうと思いました。
■やりたいことが無いと、やっぱり伸びにくい
やっぱり何歳であっても、やりたいことがしっかり明確に定まっている人は、上達が早いです。それこそ雲泥の差。何故なら、やりたいことに向かって何が足りないか、というのを最低限のショートカットで学習するからです。逆に言えば余計な事は後回しになるんです、上達の早い人達にとっては。
一方でやりたい事が無い人は、目の前の勉強にばかり集中しており、その応用に目が向かないので、やったことがその日その日のもので終わってしまう。だから、学習内容が自分の身に染みこんでいかない。反復もしない。何が必要か何が不要かの取捨もできず「とりあえずやる」で終わってしまう。
■やりたい事が漠然としているならばこそ、基礎鍛錬を
やりたいことが無いから自分には何をしても意味が無い、とか考えてる人は一定数居ると思いますが全く違います。全ての学習は様々な基礎という「点」を打ち続けることも重要なのです。
なんでも無いただの知識だと思っていたことが、全く別ベクトルの技術に生かせる事だってあるのです。
やりたいことが無いから、それまで学習はしなくてもいいやと言ってる人は、結局いつまでも何も始められない。これを言い訳にする人は非常に多いなと感じます。
基礎があるから、応用がきく。基礎を知っていることで「やりたいこと」じゃなく「やれること」の範囲が広がる。その結果広がった「やれること」の中で「やりたいこと」が見つかる。
若いうちから、好きな事やりたいことが見つからないなんて異常でもなんでもなく、むしろ普通なのです。だってまだまだ点を打ってる最中なのですから。その点が、いずれ線になるのですから。
基礎を続けてる人はどうなるか?
大器晩成型に向かっているということです。
今成功していないだけです。だから、たかだか数年上手く行かない程度で落ち込んでいたってしょうがないわけです。
だから、やりたいことが無くても安心して基礎を磨けばいいのです。
■他人と進捗を比較しない
他人との比較が学習の主軸となってしまい、疲弊します。上達してる人は良くも悪くもマイペースな印象があります。逆に、比較して、自信を失って、結果、諦めるような人がおります。勿体無い。
ウチはウチ、ヨソはヨソ。何のために上達するかが大事であって、他人と学習速度を比較することは二の次です。
■自信をつける 自信を養う
何にせよ自信が無いと手が止まります。小さな成功でもいいから、何かしら目標点を決めて、達成することで自分に自信をつけていくことが必要だと思います。例えば何か難しい課題にぶつかった時に、その課題が10の難しさだとしたら、1にまで舞い戻ってみて、もう一度、その学習をしてみる。すると、最初の頃よりもすんなり課題が解ける事がわかる。
「あ、自分成長してるな」と実感できる。これだって自己満足ですが自信になります。褒めてくれる人が周りに居るなら、その人達に成果を見せるなども重要。
とにかく自信が無いと、意欲が無くなります。上達のために意欲は必須です。
■プライドについて
変にプライド持っている人はつまづきやすいな、と思いました。例えば学習の基礎は模倣です。他人の成功を真似ること。師となる人を真似すること。
これを恥ずかしいとかかっこ悪いとか言ってる人は遅い。多くの有名絵画を生み出した偉人達だって他人の模倣をしながら癖を抜き取って、自分のものへと昇華していった。
それが培われてきた文化に対しての敬意であり、同時に模倣しながら過去の偉人たちの財産を吸収することで、自分の学習にブーストがかかります。
確かにアウトサイダーアートのようにそれら基礎を一切捨てて突き抜けた技術などもあったりしますが、その場合、突き抜ける事前提で学習するものであって、思い悩む必要もない。
上達しないのを嘆きながら模倣もせず、かといってアウトサイダーになりたいわけでもないのであればそれは単にプライドが学習の邪魔をしているだけ、という話になると感じます。
■何よりも、自分で調べるクセ
人に教えてもらおうとする人、勉強会や学校や塾で教えてもらおうって人は、学習しないなぁというのは感じます。これは何をするにしてもそうですね。
誰かに何かしてもらえば自分が何とかなる、と思ってる間は何したって学習は出来ない。自分で調べる意欲がない限りは基礎すら身につかない。
まず「自分でなんとかしてみよう とにかく調べてみよう」これが無い人は上達に全く向かわないなと感じます。
■まとめ
上達する人は学習自体はただの手段であると割り切っている。大切なのはあくまで達成するための目的。しかし目的のない人であっても、基礎鍛錬はいつか必ず実になるから安心して、目的がなくてもとりあえず学習は続けた方が良い。
ただし何事も「自分で解決する」癖が無い人が一番上達に向かない。なので、この傾向が自分にあるとしたら、まずは恥かいてでも自分で調べる癖をつけること、から始めることが上達への道。
であると感じました。
なんにしたって人生とにかく何かしらに秀でることはある意味必須でありますから、そのためにも、より良い上達に迎えるように日々の時間の使い方や意識の向け方を大切にしたいところですね。
その先で、好きなこと、やりたいことが見つけられたら、幸せなんじゃないかと思います。
いやほんと。
というわけで一年も半分がちょうど経過しました。
各々更に学習を続けて、クズだなんだとバカにされて辛いとは思いますが、共に生きるために学習していきましょう。努力は必ずしも実るわけではありませんが、努力の過程は全て自分の糧になります。一緒に頑張りましょー。
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