20140618
出典:写真素材 足成

 株式会社では誰のために働くのかといえば、地域のためでもなく社員のためでもなく、言うまでもない、株主のためであります。まず株主に利益を配当する。配当するから、社員にも還元される。その仕組みの信用があるから、社員は地域のために働ける。
株主は言わば会社にお金を投資してくれてる人達でございますから、彼らに配当が発生するようにしっかり働かなければならない。

はい、裁量制の法案制定で盛り上がっている中で改めてこうしたズレを感じたのでちょっと記事にしてみようかなと。



■自分のために働くならフリーランスか起業、あるいはリスクを負って役職を勝ち取る

 自分が勘違いしていたことをさも他の人も思ってるでしょ、みたいな感じで書くクズですがご容赦を。

さてさて働き方について昨今様々な議論が上がっています。やれ自分らしい働き方だ、やれ上司との関係だなんだかんだ。ですが大前提が抜けてる。取締役及び株主をまず儲けさせること。株式会社に所属している以上はこれがまず大前提。

それをやった上で、自分にもおこぼれがしっかり回ってくるように働く。これがサラリーマンの働き方でございます。

浅いところで自分らしい働き方がどうだこうだ言うのであれば、それは会社で働く上ではただの異分子なので排除されても仕方ないですし、排除されても構わない前提で行動しなければいけない。

この辺「株式会社ってそもそも何だ」という大前提を考えて行動していないと、想定していない痛い目を見る可能性が。

で、本当に組織に所属しながら文句も言われず自分らしくーなんてやるんだったら、それが許される役職を勝ち取る。早い話が出世する。発言権が与えられないとか駄々こねてたって仕方ない。だってあなたは組織構造的には発言するステージにすら立てていないのだから。

これでも尚自分らしくありのままの姿見せたいなんて言ってるんだったら悪いことは言いません、あなたは組織での労働には向いていない。自分らしく生きるためのインフラづくりを自分でするしかない。



■それでも踏み出さなければならない

 社内で立場が低いからといって、じゃあ黙っていろというのかといえばそういうことではない。さっきのはあくまで仕組みの話でありまして、船頭が間違っていることも、株主の考えが間違っていることもある。幸いなことに奴隷社会ではございませんので口を開いていい権利は人権として私達は持っています。

そのかわり、下手こけば当然にリスクを被ることになる。しかし、リスクの無い進言などありません。人より秀でるためにはとにかく人よりも沢山リスクを犯し、沢山失敗し、経験する必要がある。

でも、やっぱりリスクいっぱい経験してきた人は、お勉強が出来るどうこうや、少し口が達者どうこうとは全く別次元の実力をつけていくのですよね。

だから、こういう会社って仕組みがわかった上であえてやっぱりリスクに踏み込んでいくことが自分にとって多大な投資となっていく、と思う次第でございます。



■我慢の先にあるものは、誰かが提示した道でしかない

 そして誰かが提示した道で、あなたは再び我慢することになる。我慢して何か良くなるかといえば、何も変わらない。「皆苦労してるんだ、我慢してるんだ」なんて言葉に惑わされてはいけません。

繰り返します、我慢の先にあるのはまた新しい我慢です。何故ならあなたはリスクを犯さないで自分で踏み出さないで、自分の意志ではなく他人の意思に決定を委ねてるから。自分で決めない限り、我慢が終わることはない。自分でリスクに踏み込んで進言しない限り、いつまでたっても自分に納得のいく環境なんて手に入れられない。

そこに踏み込む勇気も無いのであれば、会社に文句なんて言う権限はなく、黙って株主のために働くしか無い。イヤな話ですけど、結局現状の仕組みってそういうことなのです。それがルールなわけです。

だから、それがイヤなら事業主になるしか無い。起業ブームにのって起業するしかない。




■組合の目的

 さて一方で労働者側があまりに力が無いからこそ、彼らを守るための仕組みが労働組合でありますね。組織の規模が大きい会社ほど上への進言なんてできなくなりますから、社員の意見を募って不服申立てなどを会社の意見として役員に提出するのが組合の役目。

といっても実際組合が機能している事例って表立ってあまり出てこないのであまり分かりませんね。あくまで抑止力になっているのがほとんどの場所のような。

また、所属すれば運営費を取る場所もあるみたいですし、組合に入っていることがわかれば昇進からも遠ざかる。そりゃ会社に文句言うお目付け役団体に所属してる人を昇進なんてさせても不都合が多いですから。

というわけでしてぶっちゃけ組合が機能しなきゃいけない状況に陥っている会社はそもそもかなりヤバイ状態な気もします。

あとそもそも組合無い会社もごまんと存在しますが。



■何ために働くのか、と、会社で何のために働くか は別物です

 何のために働くかは、人生にとっての命題、哲学のようなものですので、アイデンティティを確立させながら見つけるものだと思います。

一方で会社に居て何のために働くのかなんて迷ってる場合ではない。株主のためにです。株主に満足してもらって、また会社や社員に引き続き投資してもらうため。

だからこの二つの問題は切り離して考えなければならないわけです。

逆に切り離して割り切ることができれば、問題が変にこじれなくて済むと思います。
社会のために働きたいと思っている。しかし、会社役員や株主には別のその気が無いようだ。だから、この会社は自分の働く理念とは合致していない。しかし、雇用されている以上は株主たちの利益のためには頑張ってその配当はいただく。

みたいにロジカルに考えると、働くことに関してのぐずついた気持ちに整理ができるのではないでしょうか、なんて思ったり。



■まとめ

 「会社で」働くってことは株主のために働くこと。
 でも、「社会で」働くってことは、自分が社会の一員として働きかける事。
このへん上手く折り合いつけていきながら、自分の踏み込むべきリスクに目を向けていくことで、何のために働いてるんだ私は・・・みたいなことに陥ることが無くなっていくんじゃないかなーと思ったり何だりします。

いやほんと