他人への憤りや理解の進まなさやら・・・特に他人依存のクズに多いのは「誰々はこうするべき」みたいな固定概念に縛られて無闇やたらに目の前にいもしない人にまで苛ついてたり不安になる妄想をどんどん膨らませて、どんどん腐っていく。

その思考が自分の首をどんどん締め付けている事も知らずに。
ゆるーい考え、身につけていきましょう。



■他人の事をいちいち値踏みしてると疲れ果てる

 好きの反対は無関心であります。嫉妬深く怒りやすい落ち込みやすいは他人に好奇心旺盛すぎる感受性豊かな人であります。ところが周囲の人はそこまで他人のことに敏感じゃない。というよりもっと言えば、あなたのことなど別に気にしていない。

これが、クズが自意識過剰だと言われる所以であります。自分はこれだけ周囲のこと考えているんだから周りもきっと自分のこと考えているはずだ、と。

そんなヒマはないわけです。人生楽しんでる人も必死な人も、そこまで他人のこといちいち気にしてない。だって、他人の気持ち逐一考えて行動してたらキリ無いですから。



■皆適当なんだから、自分も適当でいい

 みんな自分の恵まれた環境に感謝なんてしないし、みんな誰かのイヤがることを言うし、みんな誰かに迷惑かけてるし。だって競争しなきゃ生きていけないんだから、面倒なことなんていちいち考えてる場合じゃない。

うじうじ真面目に悩んでる人程足踏みして結局前に進めなくなってしまう。でも残念ながら現状多くの人はこの「真面目さ」に振り回されている。だってそれが正解だって躾けられてきたわけですから。

「真面目」なんて「使い勝手がいい」くらいしか取り柄が無いんですから、もう真面目を演じながらクズを隠すのは良いんじゃないでしょうか。

適当に、適当に。



■うじうじ悩み始めてしまったら

 孤独を作り出して、自分の中としっかり向きあいましょう。ただし、他人が何を考えてどうだとかは一切辞めましょう。何故なら「無駄」だからです。自分が何を考えどう行動したいかは「自分」のことなんだから分かりますよね。自分が落ち込んでるのって、誰と出会ってどんな事があって、過去のことを振り返ったりして、っていう理由があるから分析できるわけです。

ところが他人のことなんて全部推測しかできない。あの人はこんなことがあったからきっと悲しい気持ちで居るだろう、なんて思ってたら全然違う、むしろ怒ってた、とか。




■人と人とは分かり合えない前提で

 家入一真さんがtwitterで呟いてて確かにそうだなーと思ったのが、人と人とは分かり合えないことを前提にしてコミュニケーションをとったほうが双方にとって楽、みたいな内容。

極論、人間なんて基本的に自分のことしかわからないし、自分の体験からしか物事を照らし合わせられない。環境を変えることを良しとする話を私は良くしますが、自分がダメになる環境にいつまで居たってダメなもんはダメなわけです。ダメな自分しか知らないんですから良くなるはずが無い。と、これは余談でした。詳しくはコチラから。



えーともかく、分かり合えるなんて希望は持たず、分かり合えないからしっかり伝えよう、変な憶測はやめてしっかり話をしよう、でいいわけであります。分からないこと、考えても仕方ないことに思いをはせるよりも、自分の目の前の課題に向き合った方が遥かに建設的でございます。



■人間なんてそんなものさ

 真面目系クズ思考の人たちは、「親はこうあるべき」「上司はこうあるべき」「社会はこうあるべき」「教師は部下は若者は学生はあーだこーだ」愛着障害の影響なのか早いうちに妙に世の中悟っちゃって、下手に頭でっかちなってしまってるから、人を記号に当てはめてしまいがち。それがとんでもなく盲目になっているのも気付かずに。

十人十色誰もが特別ではないけどオンリーワンでございます。

適当に適当が積み重なってあなたが生まれたように、他人も社会も国も適当に適当が積み重なって生まれてきたのにもかかわらず「人々はこうあるべき(適当)」って言ってるのです。

だから、適当。適当一番。

人間なんてそんなものです。

そう考えると、周りとの人間関係、ちょっと楽にならないでしょうか。

いやほんと。