20140603
出典:ピープルズ無料イラスト素材


 記憶に新しい、AKBの無差別傷害事件「殺すなら誰でも良かった」。黒子のバスケ脅迫事件「自分は無敵の人である」。秋葉原無差別障害事件等々。

いずれも平成格差が生み出した深い闇であります。平成格差とはいわゆる資本主義社会に必然的に生まれてくる所得格差。それに加えて男女ともにある、世間体とモテに対する格差。

この事件を特異なものとして見るのは極めて危険です。だってもう、彼らはこの格差社会で生まれた必然的な現象なのですから。ずーっと張り詰めていた糸がついに切れ始めたわけです。

直視したくないが、直視するしかない現実。その現実をこれからどう生きていくべきなのか。



■「無敵の人」が生まれる仕組み

 持たざる者に身を落とした時、そこから這い上がる仕組みが無く、持っている者だけが更に繁栄し続けるシステムの中、黒子のバスケの事件の容疑者が「自分は無敵の人である」ということを証言しております。
金も無い仕事も無い信用も無い友も恋人も頼れるものは何も無い。「持っていて当然」という記号を私は何も持っていない。何もないから何も失うものもない。死んだところで何も社会に影響は無い。故に私は「無敵の人である」と。

この平成格差の下、何をしたって、もう負け確定、という状況に陥らないように、皆必死に金に振り回され常識に振り回され・・・そして疲弊し、倒れていく。やがて狂気に襲われる。

最初から恵まれた環境に育った人にとって、この無敵の人の感覚というのは理解されない、だから、異様な人間として報道される。普段生活できている人はその「普段」がどれほど尊いものか分からない。
本当のド底辺がたしかにこの日本に存在していることを、認めようとしない。「努力しなかったせいだろ」なんて簡単に言える。

これから無敵の人は更に増えていくものであると感じますし、自分もいつそうした立場になるだろうかと肝を冷やすわけでありまして、実際そうした状況になった場合どうしたらいいだろうかというのを考えてみました。



■ルールの外へ飛び出す

 現行社会システムは、確実に無敵の人を生む仕組みになっています。金持ってれば勝ちなんですから、金が無きゃ負けなんです。それを何重にも積み重ねたウソと建前でごまかし続けて一部高所得者が富という権利を持っている。

というわけでそのルールから飛び出そうという動きもあったりします。社会の常識からドロップアウトして、生きていけなくなった人が、リバ邸と呼ばれる家入一真さんが立ち上げた現代の駆け込み寺で再起しているなんて事もありますし。

かたや岡田斗司夫さんのようなFREEexという組織を立ち上げ、「岡田斗司夫に毎月1万円払って一緒に仕事しよう」という人を300人囲って社員が社長の給料を払う代わりに、社長に何でも命令できる、という新しい会社のあり方を作っていたりもします。

んなことはじめから恵まれた人間が出来るだろーが!って話でもありますが、そういった「これまでの当たり前」をぶっ壊しにかかっている勢力がこの国には既に生まれているのだと知っておく。

知っておくことで、いざ無敵の人になってしまった時に「自分はもう犯罪でも犯して社会的に死ぬしかない。どうしようもない理不尽を、「自分よりも弱い人間、問題が起きて困るような場所に対して暴力をふるって、一矢報いたい」なんて思考に走ってしまう前に、実は全然違うルールの戦い方があるのだと見えてくる。

無敵の人に陥りそうな人というのは結局のところ、基本的に自分が負けるルールのフィールドに立たされているだけである、という自覚が無いから追い詰められてしまうわけでして、だからとにかく様々な世界に価値に触れまくることがとても重要になるわけです。



■現行ルール上で無敵の人になるとガチで強い

 「こんなことしたら恥ずかしいよね」「そんなこと考えて本当にバカだね」現行のルールからそう見えるような事柄が多々有ります。常識的に考えるから、彼らは敬遠するのです。ところが無敵の人になれば、この境界線が消えるわけです。

これは本当に強い。ところが絶望ばかり抱えてしまうから、人に復讐する方にばかりむいてしまう。違います違います、無敵の人になるとガチで強いんです。恥も外聞もない状態というのは本当に人として強い状態になっているのです。



■いつでも無敵の人になる想定をしておく

 真面目系クズとかモラトリアムとかそういう人たちの特徴は無敵の人に陥る可能性が大きいなぁと感じます。しかしながらこの無敵の人状態すらも自分の人生を上手く進める上での手札になるのだと思えるようになれば、大変立ち振舞方が変わってくる。

自分が何も出来ない人間だ、何も持っていない人間だ、そうやって気づくことからようやく自分のできる事を探し始めていくものであると思います。



■無敵の人の誕生は、ただの現象

 彼らは特別ではなく彼らを生み出す環境は今も着実構築されております。なので彼らから私達は学ばなければならない。やったことを擁護するつもりは更々無い。しかしながら、もう社会のひずみがそこまで顕著に現れ始めている。

このまま歪んだ情勢に身を任せて心を削っていてはいつか誰かがもしかしたら自分がそうした狂気に走ってしまうかもしれない。

いざそうなってしまうまえに、私達は成長の方向を見失った資本社会の中で次に訪れ始めている評価社会のターニングポイントをいかに生きるか、という部分をもっと知っていく必要があるのでございます。




■これから向かう社会予想

 富が独占状態なので、数値だけで考えると金持ってる奴が勝ちなのは変わりません。しかし金はモノに金額があるから成り立つわけですから、当然それを破壊する動きが活発化します。

いくら金があっても変換出来ないものが、個々のパーソナリティとして評価です。だから、金で評価を買う時代がやってくる。もともと評価を持っている人にはこれから更に信用が舞い込む。

一方でビットコインなどの既存の貨幣経済を崩壊させる仕組みも生まれている。これ、現在ではものすごい高額になっていましたが、発表当時はとても現金的価値なんて無かったわけです。

世の中のこれまで「これが正しいよ」と呼ばれてた価値がどんどん歪んで来ています。だからといってお金に価値が無くなるかといえばそういうことではないわけです。しかしながら価値観の多様化がいよいよ精神的なものではなく物質的な交流にまで影響を及ぼしている。

話が広がりすぎました。既に何が勝ちか負けかなどを語る様相ではなくなってきている。これは逆にこれまで良いとされてきた社会に馴染めなかった人にとっては良い転機になってきているなーとも感じます。



■まとめ

 無敵の人にならざるを得なくなってしまっても、なりたくなくても、現状やるべきことは自分の知に対する永続的な投資です。金やものや自分の価値を知って、知って知って知りまくって、この面倒くさい時期を乗り切っていこうじゃありませんか。


いやほんと。



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