20140529
出典:ピープルズ無料イラスト素材


 「そうだ、死のう!」
と何度も思ってどれだけの日々を過ごしたか分からないどうもまじクズです。


という記事を読みまして、色々最近感じたことをまとめてみました。


 

■死ぬ前の後悔について

1位は「自分自身に忠実に生きれば良かった」ということらしいです。
全部書くとただの記事転用になるので詳しくはリンク先を読んでみてください。大体の後悔は「なんで自分はあんなにも自分のことを大切にしてやれなかったんだ」というものになるようです。

自分自身を振り返ってみて感じることですが、20数年間のほぼ全てが、我慢と忍耐と憎しみと依存の繰り返しでした。自分で自分を幸せにしてやろうという努力、自分の心の叫びに向き合うこともしないままでおりました。

多分死んだら怨霊になるんだろうなぁという程に。



■そして私は死んだ

 私は長く人格を破壊されて人間としての尊厳を踏みにじられ続けて、社会に顔向け出来ないような場所で過ごし、正論と呼ばれる道から完全にズリ落ち、地獄へと落ちておりました。

生物学的には生きているが、社会的には死んでいるというか、本当に、何のために生きているんだろうか、という状態のその日暮らし。

なんでそんな事を続けていたかといえば、どこかで「自分はまだ"自分が認識している社会"のどこかで生きる事が出来るかもしれない」と傲慢にも考えていたからであります。

常識の檻に囚われていたからであります。




でもある日気づいてしまったわけです。

「ああなんだ、自分、もうとっくに死んでたんじゃん」

と。

社会的な正論にもついて行けず、負け確定の土壌でひたすら白兵戦をやっているような日々。それをコケにされ続け。死んでるも同然。死んでないよと訳の分からないプライドで自分に言い訳しながら。

ああ、死んでるよ、うん。間違いなく、死んでる。やっぱ死んでるよ、自分、この社会で。

そこから襲ってくる凄まじいまでの後悔と悲しみ、恨みに嫉妬に劣等感。

過去の私はそうしてちっぽけな檻の中、にくしみにまみれて死にました。

チーン。



■死んでから見えてきた世界

 過去の自分が精神的に死んだので、オツムがゼロ歳児からやり直しです。困ったことに身体は大人なのに。黒の組織の薬が欲しいところです。

死ぬことで見えてきたものとしては、自分が必死になって守ろうとしていた檻の中での生き方、立ち位置、見ていた世界というのがとてもとても小さく、また、檻を作る人間・檻の中の強者が優位なステージだったんだなぁということ。

しがらみが消え、プライドも消え、そうしてようやく檻の外を自由に出入りすることができるようになって、檻がいくつもあって、それぞれ檻を作った人と檻の中で猛者になっている人が勝者になって、道を外れた弱者が苦しんでるんだなぁーということが見えてきて。

「あれが正しい、これは間違っている」「お前はクズだ」「自分はなんてダメな人間なんだ」こういった考えがただの一ルールに過ぎないことにようやく気づいた。

せっせと檻を作る人たち。その檻に我先に突入して縄張りを形成する先駆者達。檻を作った人たちに、社会人だ世間体だなんだのと理由をつけられ背中を押され、檻に押し込められる右も左もわからぬ後発者達。その後発者達をボコボコにする先駆者達。

なんだかなぁ。



■自分が生きやすい場選び 自分が生きやすい場作り

 あんなに迫っ苦しいなら、別に檻になんてわざわざ入らなくても良かったんじゃん。自分が嬉しいお花畑育てた方が良いし、誰かの面白そうな公園に行ったりしたほうがとっても楽じゃん。実際楽しんでいる人たちは、自分で楽しい方向に舵を切っている。

また、よくよく見ていると、背中を押されているのに反発して檻に入らないで、自分で檻を作る人や檻をぶっ壊して遊園地にしたりしてる人も居る。

ああ、場を作るっていうのはとても大切なことなんだなぁ。




■死ねば恥もプライドもない

 "常識"の世界で死んでもう強く意識できるようになったのは、明らかに開き直った考えが出来るようになったということ。だってもう死んだんだから、今更恥ずかしいと言われる事をやろうとも、気にしない。恥かどうかじゃなく、好きか嫌か。

プライドも無い。自分の中ではもう守るものなんて無いのですから。その分、他人のプライドを汚す人が気になるようにはなってきたような。

そして、死ぬ時に感じた圧倒的な後悔を、やりなおしてみよう、と思えるようになってきました。 



■生きながらに死んで 死にながらに生きはじめた

 どう頑張っても無理、おかしい、勝てるワケがない。なんでこんな勝ち目の無い戦いを毎日しているのか。何故自分だけがこんな目に遭わなければならないのか。自分はもうダメなんじゃないか。

「だったらもうそんな不条理な常識から逃げろ!死ぬくらいなら逃げろ!」と、家入さんのように叫べればいいと思うのですが「いやいや逃げる所すらないよこんな自分」なんて状態で、毎日日陰者として生きるしか無い方々におかれましては、「既に死んでいたという事を自覚する」事をオススメします。

不条理なルールの中で何とか生き残ろうともがくよりも、死んでリセットして、ニューゲームして、今のかる~くなった身体と思考で色んな所に飛び込んで見たらきっと、全然違った生き方が見えてきます。


というわけで「さようならー生きづらかったルールに潰されたバージョンの自分。お前が経験した不条理も悔しさも、その先の死は決して無駄では無かった」


なんて感じに一度死んでみて、しがらみ何もかもを捨ててみるのはいかがでしょう\(^o^)/

死ぬと思った時、初めて自分の中の心の叫びにも向き合えるようになりますし、死ぬことでそれを実行出来なかったしがらみも捨てられます。

なるべく沢山後悔しながら、一度死んでみて、その後悔を達成するための新しい真っ白な自分になってみてはいかがでしょう。


いやほんと。



※こんな注意書き必要無いとは思いますが
 決して命を絶つことを推奨してるわけではございません。