出典:写真素材 足成
「働く意味」と検索をかけると、実に多くの答えが出てきます。それは、会社でのウケがいい教科書的な回答だったり、美徳を追求したものだったり、自己実現がどうだったり…。でも検索で調べる人なんて、もうその辺わかってると思うんですよね。
最近何度か「働く意味が分からない」という検索ワードから当ブログに来られている方が居たようでしたので、改めて働く意味を考えてみたく思います。
■生活のため
まず最低限のところから掘り下げてみます。働かなければ食う事は出来ません。自分に対して発生する最低限のコストを確保するための考え方。生きるためです。ところが自分の生活のためを目的にしているのでしたら、一番は親元から離れないことになるわけですね。なるべく集団世帯に所属していたほうが、出費は少なくなるわけですから。
というわけで、もし本当に働く意味が生活のため、しか見当たらないのでしたら、無理に一人暮らしをせずに自分のコストをいかに落とすかを考える。その上で最低限稼がなければならない金額を算出する。
あるいは、すぐにマンションの一室を購入してしまい、賃貸として無駄に発生する金ではなく、資産に変えてしまう。ローン組んでれば当面はそのローン返済が最低限の働く意味になりますね。
■そもそも働く意味があるのか?
現在日本ではニート人口が80万人超えだそうです。ニート出来るということは、すなわち働かなくても世帯収入でなんとか賄えているってことです。世間体を恐れて、みんな謎の就労義務に取り憑かれている可能性があります。別に働かなくてもやっていけるんだったら、無理に働かなくたっていい。
つまりですね、働く意味を見失っている人というのは、最低限の生活の維持なんてものに対する防衛手段ができている段階の人、という仮説が立てられるわけです。
■では、それでも働く理由は?
この、生命に関する問題点が払拭できれば次の段階に進みます。つまり、贅沢したいとか、遊びたいとか、良い服が着たいとか、勉強したいとか、そうしたことに対してお金は発生するわけです。つまり、生命維持の次に文化人としての生活を手に入れるため、世間と渡り合っていくための素養を身につけるためのお金が発生する。このお金を手に入れるには?という段階に意向する。
■お金のため
で、こうなると幅広い選択を手に入れるために次に「お金のため」という目的が発生しますね。何度か当ブログもお金に対する記事を書いてきましたが、お金とは、貴方の信用を現物化したものです。貴方の信用で時間を買ったりサービスを得たりしているわけです。
つまりお金のため=社会的信用を稼ぐため
ということに置き換えられます。
というよりも、ここを理解せずに「お金がほしいから」としていると、お金に振り回されることになります。
■欲求の大きさが目標の大きさになっていく
フェラーリ5台はほしいなー、ラスベガスのカジノで1日中遊びたいなー、超高級エステ行きたいなー、社長になりたいなー、○○の街を良くしたいなー、世界に通用する技術者になりたいなー、医療に革命を起こしたいなー、日本一周グルメツアーしたいなー、好きな人と一緒になりたいなー、子供を立派に育てたいなー。
なんでもいいんですけど、そうやって欲があれば、その欲に向かって働くことになります。というか、無茶な欲求を持てば持つだけ、どうやってより信用を得ていけばいいかということに思考が働きます。働き方の質についてなど色々考えるようになる。
■つまり働く意味というのは
ずばり己の欲求を果たすことに他なりません。例えば「誰かの役に立つことが嬉しくて働く」という人が居ます。高尚ですよね。でも、これを真に受けて「自分もそうならなきゃいけない」という綺麗事に踊らされてしまう人が居ます。
その言葉の裏にあるのは「誰かに必要とされる欲求が満たされるから、誰かの役に立つことが嬉しくて働く」ということです。
一方、優れた経営者も「社員のために」という信念や言葉などで社員を魅了したりします。「この人のために働きたい」って思わせる。社員が会社や社長、他者のために使う力を引き出させる。
ところが経営者のこの信念や言葉が嘘だろうと本当だろうと、経営者自身のアイデンティティのために、発信していると考えられるわけです。滅私奉公しているように見える社員だって、自分たちの給与のため、社長に喜んでもらって気持ちよくなりたい自分にため、働いている。
究極的には、自分のためなんです。それを、まるで「他者のためにこそが人として当たり前」「働くということは滅私奉公すること」のように教えこまれてきたから、働く意味や生きる意味がわけわからん状態になってしまうのです。
くどいようですが、すべて、自分のためです。
■欲が無かったらどうしたら
今はまだ無いだけなので、現状は生活維持のために働くのも悪くはないんじゃないでしょうか。人との出会い、胸を突き動かされるような体験、危険、そうしたものを経て、何かしらの欲求が自分の中に生まれる。それまでは、黙ってたっていいんじゃないでしょうか。川の流れに身を任せておけばいいんです。
その上で働かなくていいんであれば、別に働かなくたっていい。
■まとめ
働く意味は、世の中のためだとか他人のためだとかは、ぜーんぶ建前です。己の生活のため、そして己の欲求のためです。生活の心配なんか無い人が吹聴するものも、生活苦の人が吹聴することも、どちらにも理があって、でもどちらかに傾倒する話ではないのです。
何よりもまず、自分の欲求の実現のため。これが、私達が働く意味です。
というわけで、働くことについて綺麗事並べる人に出会ったら注意して下さい。
いやほんと。
コメント
コメント一覧 (3)
いつも楽しく読ませてもらってます。
色んなことを角度をかえて考えるようになりました。
ふと思ったことで
時給=時間売り
この概念っていつしか誰がいったかですが出来上がったひとつかもなと。
時給=一時間の作業に対するの対価
であって、人の時間を売るとか買うとかではないのだなと思うようになりました。
日給、月給しかり
そう考えると
人対人で意見も言えるようになったです。
労働は奴隷ではないです。
資格・免許も向いてません。元々超貧乏家庭なので、機械に触れた事もありません。
高校進学の余裕もありません。義務教育を受ける余裕すらありません。公務員試験を受けるなんて余裕もありません。テレビ・エアコン・冷蔵庫・洗濯機等の家庭用電化製品なんて揃える余裕もありません。電話もありません。新聞も購読してません。車もありません。家は超狭いオンボロ借家です。制服なんて持ってません。
10人兄弟なので、食費を稼ぐ事に精一杯です。
それは…とんでもなく大変ですね。
国の保護を頼られた方が良いのではないかと思います。
私も自力ではどうにもならん事態は役所に相談に行ってなんとかしてます。