20140404
出典:いらすとや

 先日ビジネスオンデマンドでカンブリア宮殿の【超地域密着で勝ち進む「ばんどう太郎」 成功の秘密】という回を見ておりました。その中で、青谷洋治社長の発言が大変興味深いものがあり、色々と考えさせられました。



■完成されていない事が大切である

 青谷社長は、店の設計図ができると必ず完成された図面を少し崩すらしいです。これは、整った状態のお店では、お客さんが背筋を張って来店してご飯を食べなければならなくなり疲れてしまうから、だそうです。そうじゃなく、お客さんにご飯を楽しんでもらいたい、お店に来て喜んでもらいたい、だから、あえて少し崩して突っ込みどころを与えてやることで、お客さんがリラックスできる、ということらしいです。なんともユニークな発想だなと思いました。

■真面目の仮面は双方が疲れる

 真面目の仮面かぶりたがりな人の特徴として、完璧主義だからなのではないかと思いました。人間関係において完璧に演じなければならない、と自己暗示している。だから、完璧じゃない人にイラつくし、完璧じゃない自分自身が「クズだなぁ」と悲観してしまう。

しかし人間関係全員完璧を求めていたら、世の中のほとんどのことが許せなくなります(笑)
青谷社長はお店とお客のコミュニケーションとして話をしていましたが、これって色んなことに当てはまるんじゃないかな、と思いました。


■なぜ完璧主義になってしまうのか?

 子供の頃のトラウマなどを掘り下げてしまうとキリが無いので省略しますが、ようするに失敗が怖い、失敗して恥をかくのが怖い・嫌だ、というのが考えられると思います。つまり、自分は完璧な人間でありたいという、高い理想を自分自身に掲げ、行動に制限を与えてしまっているのですね。




■完璧な人間は存在しない

他人についつい厳しく完璧を求めてしまうのは、逆説的にいえば自分が完璧じゃないから、自分に満足していないからであります。ドラクエ的に言うと、全ステータス999にはなれません。各キャラに特化技術があり、互いがパーティーとして不足分を支え合っています。

・部活に勉強にとハードに打ち込んできた学生
・友人とツルんで色んな場所でとにかく遊びまくってきた学生

前者の環境では遊びについての感性、後者は勉強に対する感性が養われないとも考えられます。どちらが悪い、というわけではなくて、進む道によって磨かれる箇所とそうでない箇所は存在するわけです。これを、どちらかが正しい、と決めつける事から完璧主義が生まれてしまうものと思います。


■完璧を求めていてはいつまでも失敗できないし、スタートもできない

 実際ブログをスタートしたり事業をしたりなどでもそうなんですが、完璧主義になればなるほど、ものすご~く入念に準備運動してしまうんですね。「今、すごくいい波が来てるよ!」って時に、「待って、まずはちゃんとサーフボードの手入れと準備運動と、失敗しないためのテクニックと…」と調べてる間に、周りはどんどん海に飛び込んでいく。

ようやく準備を終えた頃には既に波は無い。あるいは海にすら入らず終わる。完璧主義で居続けては、いつまでもリアルタイムの波に乗っかれなくなるのです。波を経験した人たちとの会話も出来なくなる。


■脱・完璧思考

 というわけで本テーマの肝です。寛容になりましょうよ、というのもなんだか抽象的なのですが、多分この論点の根っこにあるのは自分の価値観の衝突なんですね。だからまずは、完璧じゃない自分を認めてしまう、というところがスタートラインになるんじゃないかと思います。

自分が優れた人間だという幻想を捨てる事。これが、自分を縛り付ける制限を解除してくれるのだと思います。更に付け加えて言えば、他人は貴方が恐れている程他人の失敗に関してグダグダと覚えてなんていませんし、貴方だって覚えて無いはずです。

それに、他人に完璧を求めている人自信が完璧じゃない事も貴方はもう理解しているはずですから、貴方が完璧じゃない事に対してケチつける人にいちいち怯えなくても大丈夫です。同じ人間です。

あなたが完璧であることを捨てた時、滞っていた人間関係がサーッと変化していくものと思われます。


■まとめ

 完璧を求めるから自分も相手も肩肘張って疲れてしまいます。企業と顧客の関係であろうとも。肩肘張ってばかり居るから相手の一挙一動にイラついたりして、いろんなことに疲れてしまうし、相手も疲れてしまう。貴方は完璧じゃないし、皆も完璧じゃない。だから、依存するのではなく、足りない箇所を互いに支えあう。もっとこの不完全な世の中を楽しく乗りこなす方向に思考をシフトさせたら、ひょうひょうと図太く生きていけるんじゃないかなーと思います。

いやほんと