先日このようなキーワードで検索がかけられているのを発見いたしました。当ブログにはそうした趣旨の話は書いていないように思いましたので、恐らく様々なブログのキーワードが重なり合った結果の検索結果であったのだと思います。


■「一人で生きる」とは

 私はよく「一人でも生きていけるように」という主旨のもとに様々なメモとして記事を起こしていますが、まず本質的誤解されないようにしておきたいのですが、「一人で生きる」というのは自己完結してあれもこれも一人でやれ、という話では毛頭ございません。一人で生きるというのは、自分の判断で正しく道を歩くという事です。他人を排除して生きるススメではありません。

会社の枠組みや小さなコミュニティに縛られ、依存し、自分には何も出来ないと諦めている状態を一人では生きていないという解釈として考えています。逆にそうしたしがらみを意に介さず、常に自分のモノサシで考えようとする人が、一人で生きてる人であると認識しています。


■バカとクズと無能と無知とを混同しない

バカ:ダメな奴だ、とか頭が悪い、とか否定的な意味合いもあれば、バカみたいに明るいとか、バカ正直とか、表裏の無いような童のような様相をあらわします。バカという状態は使い方によっては良い武器にすらなります。

クズ:道徳的な行いから外れる人間の総称。外道や畜生の類。クズが居るから世の中が成り立っているという見方も出来る。

無能:読んで字の如く、能力が無い人間。手に職が無い、勤勉でもない。飛べなくて隠す爪もない鷹。

無知:何も知らない人間。学も知識も無く、善悪の区別も出来ない犯罪者予備軍状態。

まずこれを自覚しているかが問題です。

■クズでバカな人間が生きていく方法

 私はクズでバカで一人では生きられなかったので、その当時の処世術です。
「自分のバカさを上手く利用して、金持ちに気に入られる」「バカでクズな金持ちに気に入られる」「金を稼ぐ力を持っている人間に気に入られる」「バカを助けてくれる親切な人間の下に行く」
一人で生きる、というテーマを外せば色々見えてきます。将来一人で生きるという目標のもと、あえてこのような環境に飛び込み仕組みを理解するのも手です。


■クズでバカな人間が一人で生きていく方法

 現在の私が確立進めている道です。
クズでバカで一人で生きるなら、今すぐ勉強。世の中は7割の「バカ・クズ・無知・無能」の人間から上手く労力や金を巻き上げ、3割が得をしています。そこから誰の力も借りずに這い上がるのであれば、勉強、勉強、勉強。
沢山の頭のいい人や、小ざかしいクズと呼ばれる人達の啓発本の類や自叙伝、あらゆる法律や経済にまつわる「仕組み」の本を読みまくる。また、歴史を学ぶ。勉強、勉強、勉強。今の自己価値をひたすら上げて、どんなところに居ようとも食っていけるようにする。3割の側の人間が何を考えているのかを勉強する。



■いずれにせよ「一人きり」では生きられない

 人間は社会動物であり、コミュニケーションを媒体に経済活動が行われるからです。原始時代からずっと変わらない事実です。IT部門の発展は目覚しいです。より他人と交わらずとも完結する世界になってきています。それでも、人は一人では生きられません。


■まとめ

クズでバカだと自覚してるなら、そこから這い上がる努力をする。イヤなら楽をするための努力をする。クズでバカな自分を何とかする努力をする。努力すれば、確実に対人への依存心からは抜け出せる。
美輪明宏さんの言葉で、こんな言葉があります。

「ありのままの私を受け入れて」

なんていう女はムシがいいのよ。
ありのままのお前がなんぼのもんじゃっていうのよ。
なんの努力もしないで、ずうずうしい。
例えば畑の大根だって、
引き抜いて、泥を落として、皮をむいて、千切りにするなりして、
お皿に盛って、「はい、召し上がれ」って、
それで美味しく受け入れられるんでしょう。
泥だらけの大根を突き出してさあ食えって、失礼だと思わない?


クズでバカで、でも一人で生きる、でも努力はしたくない。そんなムシの良い方法があったら皆とっくにやってますよね。私だって教えて欲しいです。

というわけでクズでバカという泥だらけの自分をまず磨いて綺麗になる努力をする。これが一番手っ取り早い方法だと思います。