親憎し、先生憎し、学校憎し、政治家憎し、日本憎し、隣国憎し。 色々な憎いという感情は何かをするうえでの原動力になります。憎いということは納得がいっていないということ、自分に対して不利を強いられている相手であるということ、であると思います。この憎いという感情は無尽蔵に力を与えてくれますが、ちょっと問題点が多いです。


■憎むには敵を用意する必要がある

 憎むというのは負の感情です。空気を憎めというのは無理な話ですから、対象となるのはやっぱり人だったり制度だったり色々です。○○が憎くて仕方ないから何とかしてやろうと思ったり実際行動したりします。

■憎しみは力になる

 つまり憎しみは何かをするうえでの原動力になってきます。敵が居るから、その敵を打ち負かして快感を得てやろうといそいそ行動するようになるわけです。憎い相手が失脚したり制度が破壊された時は大きな満足感、達成感が得られることになるでしょう。

■憎しみから得られる力を自覚する

 憎むこと、誰かを敵にすることにより得られる原動力の凄さに気付きます。こりゃー便利な能力だ、と。自覚するしないは別として、繰り返し憎しみから力を得る事で本能的にそう思えるようになってきます。

■敵を作らなければ安心できなくなる

 憎しみには敵が必要。憎むものが無くなれば新たに憎いものを作ればいいわけです。つまり、自分の憎しみを常に枯渇化させるように脳が指示をはじめるようになる。

■憎しみに依存するようになり、憎しみ以外の原動力を見失う

 憎しみから安易に得られた力に溺れるようになります。常に敵を求め、作り出し、原動力に変えて発散し、また憎んで発散し…のループになってくる。負の感情に気付かないうちに自分が依存し、洗脳されている状態になります。

■憎むことそのものがアイデンティティになる

 憎むことで力を得ているはずだったのに、憎むことが本質になってしまいます。いよいよ手が付けられません。誰かを憎むことそのものが自己を確立する要素になってしまいます。貴方の身近にも居るかもしれない、ただただ他人に毒を吐き続けている人なんかはもうこの末期状態なのかもしれません。

■常に自分の感情が憎しみと表裏一体の付き合いになる

 誰と話しても、何を見ても、常に憎しみが背中に潜むようになります。今は好きだけど、少しでも裏切るようなことしたら即座に憎しみの力で打ち負かしてやろう、という意思が働くようになっていきます。

■自分を憎むことになる

 そうして、何かを憎み続けて最後に行き着くのが、自分への憎しみです。結局憎しみという負の感情は自分に全て帰ってきます。誰かを憎むほどに自分がただただ苦しくなります。そして、その苦しみを晴らすために誰かを憎むようになります。そうして薬物中毒のように、憎しみ中毒に堕ちていき、死を決断するまで自分で自分を追い詰めてしまいます。その自覚すらできず、最後まで誰かを憎しみ続けることになります。



■憎しみから手を引こう

 以上の事から憎しみは一時の劇薬であること・脳内麻薬を分泌させる行為であることを理解し、サッと手を引いてしまわなければならないように思います。


■憎しみはあくまで手段

 何か憎まないとやってられないよ、という事事態は否定しません。そうした力しか原動力が無い段階であれば、それも仕方ないです。ただ、いつか決別することも忘れずに居る必要はあります。


■理解:憎しみの正体は願い

 強烈な他者への願望に対する依存心です。他人が憎たらしいのは「私がこうなったらいいな、が誰かのせいで叶わない」から起こるものですが、これには同時に「誰か私を幸せにしてくれ」という願いがこめられています。


■願う力で、自分を突き動かす

 何かを願う事は自分の足を進めてくれます。願う事ならば敵を作る必要もなく、自分の理想のために背中を押してくれる力になります。自分の憎しみを全て願いに変換して、力を得られるようになれば、もう憎しみのループからは脱出できます。おめでとうございます。
「あいつは幸せそうで憎たらしい!私が幸せになれないのはアイツが○○してるせいだ」→「私は幸せになりたい!幸せになるにはどうしよう!○○しよう!」というような具合に。


■変換力で、自分の人生を前向きに

 憎しみを理解し、利用し、溺れず、向き合い、変換する力を手に入れたら、湧き上がる感情全てを自分の背中を押すために仕向けることができるようになります。そうしたら、憎しみとも良いお付き合いが出来るようになるかもしれません。



くれぐれも、憎しみの処方はほどほどに。

いや、ホント。