先週日曜日、外で昼食をとっていると見知らぬ番号から電話が来た。
出てみると、日経オンデマンドからだった。
あれ、何かしたっけ、あ、無料会員になってたっけ。

電話「今お時間よろしいでしょうか」
クズ「まぁ、はい」

何かの調査かなーくらいに思ってたが甘かった。


電話「当社の方ですが、ビジネス系の書籍でナンバーワンに選べらばれております会社でして」
電話「現在日経の雑誌か新聞などはとられておられるでしょうか」
クズ「いえ」
電話「お友達などのところでも見られたことはないですか?」
クズ「ないですね」
電話「それでしたら今○○というキャンペーンを行っておりまして」
クズ「はぁ」
電話「弊社日経ビジネスが展開している新聞や雑誌は大変多くの方にご講読いただいておりまして」
電話「通常ですと1年契約で、ということなのですが、今ですと半年からというコースもご用意させていただいております」
電話「更にご契約いただいたお客様には現在掲載中のビジネス講座○○先生(誰それ?)のコラムを合わせてご覧いただけるようになっております。」
電話「日経新聞のご購読いかがでしょうか」
クズ「検討しておきます」
電話「はい、それでは失礼します」

はい、大変失礼でした。

・内容が一方的イラつく
・値段の提示が無い
・結論が最後で時間の無駄 取る気無いんだから
・オペレーターの人が事務的にやらされてて
 つまんない仕事だなー何でこんなことしてるんだろうなーと
 どうでもいい事が気になってイヤになった


ひと昔前はこれが玄関口でやられてたんだろうなーと考えると頭が痛くなります。

■旧来の営業スタイル

さてこの相手の意図を一切聞かずに実績やら値段も提示もせずお得だなんだとう
会社の価値観の一方的な押し付けスタイルというのはいつまで続くのでしょうね。
旧来の体勢を引きずっている組織に似た特徴として挙げられるのは
WinWinの概念が備わっていないということでしょうか。
つまり「ウチだけが儲ける」が前提。
選択肢が限られていた時代は、それでもやむなしにユーザーは選ぶしかありませんでした。
新聞無ければ他に得られる情報源がテレビしかありませんでしたからね。
いわば限られた、しかもどこもユーザーが別段得はしない選択肢しかなかった。

ところがインターネットの浸透から次の段階へと進み
あらゆる既存の既得権益、独占状態だったサービスの
無料化が開始されるわけです。 新聞というか情報も例外無く。
これは、権益を生めばあとは偉そうに座していられる、という
スタイルが一切通じない世の中へと向かっているわけです。
ユーザーはより得できる、つまるところお金がかからない方向に流れる。

この流れ乗れていないと古い営業になってしまうわけです。
「で、その案件は当社にとって何のメリットが?」
企業間だって当たり前に行われる双方のメリット・デメリットの話が
新聞会社では未だに一切行われてないんだなーと改めて感じました。
だから新聞なんて取らなくなりますよ。


■ある営業マンの話

デメリットの営業で一つ思い出したのが住宅の営業マンの話。
昔Kさんという住宅メーカーの営業マンが居ました。
彼は営業で必須だといわれる明るさを存分に振りまきながら
来るお客来るお客にその住宅がいかに素晴らしいものであり
将来のお客さんの住まいにぴったりであるかを訴えました。

しかし、Kさんはいつも契約の判を押してもらうことなく
何年も契約年数は最下位のままでした。
周りがどんどん成功する中で悔しさに涙を流した彼はある時フっきれてしまいます。
「もうどうでもいいや、家の悪いこと全部言ってしまえ」
行き場の無い恨みすらこめて、ある営業の際に
この家がいかにダメであるか、どんなところが問題であるかを訴えました。
お客さんが「これいいねー」というものに必ずデメリットを添える。

ああこれでウチの会社の評判も悪くなるだろう ざまあみろ

そう自虐気味にほくそ笑んでいたKさんにお客さんはなんと感動
「こんなに親身に包み隠さず教えてくれた営業マンは今までいなかった
 どこに行っても、家の良さと口のうまさで判を押されそうになっていた
 あなたのような営業マンは初めてだ。ありがとう、是非この家を検討したい」

彼は、吹っ切れてメリットもデメリットも全てをオープンにした結果
誰よりもお客さんに信用される営業マンへと生まれ変わりました。
全国で営業の講義を開く程だそうです。
何かの番組で見たのですが実在のお話。

■お金を払うことへの価値観の多様化

 
というエピソードからも見てとれる通り
メリットばかりの押し付け営業はもう時代遅れなわけです。

WEBで活動してる商材屋さんとかも皆この手のやり口ですから
余計にイメージを悪くしてますよね。

Amazonのレビューで皆が購入意思を決定しているのだって
ユーザーが良いところも悪いところもあわせた上で
購入に至る吟味をする思考が備わっているというのが見てとれます。

逆に賭博性の強く、損得の判断がつけにくいスマホアプリのガチャ系は
規制が入ったりするレベルなので
いかに賭博要素を前に人間は財布の紐をゆるめがちなのかも分かります。

と、少し脱線しましたが
購入に至る動機・プロセスの思考は大きく変化し続けていると思います。
一昔前に誰がパズドラみたいなゲームを無料で出来るだろうと想像したでしょうか。

そうした時代にありながら未だに押し付けの営業を続けてる新聞社が居るわけです。
だから新聞なんて取らないんだ。

■自分が新聞売るとしたら??

広告フリースペース貸し出しするので予約してもらえれば
いつでもあなた個人のHPや商品広告打ちますよ、とか
読者記事・コラムの枠を提供しますよ、とか何らかの話すると思う。
そうしなきゃ情報単体に金払う意味が見出せないので。
博打だけど、基本フリー配布で、興味のあるジャンルの購読が選べて
一括だとこれだけの値段、ジャンル単体だとこれだけの値段、
みたいにして棲み分けをするとか。

いずれにせよ「ウチはすごいんですよ!」って肩書きを押し出している間は
紙の新聞に未来は無いだろうなぁと思った次第です。

いやホント。