ロールモデルとは
 引用
 具体的な行動技術や行動事例を模倣・学習する対象となる人材。
 多くの人々は無意識のうちにロールモデルを選び、その影響を受けている。
 「○○のようになりたい」という憧れは誰しもが持った経験があるだろう。

会社の40歳近い人、それ以上の人と話して思うのは
「こうすることが正しい」というモデルが出来上がってるんだなーということ。
そこからマネジメントに絡めて考えてみました。

■オジサン達のロールモデル

例えば、「いつかはクラウン」なんて言葉があります。
年功序列、終身雇用が当たり前で、日本の「デキる大人」の条件の一つが
クラウンという記号だったわけです。
他にも新築一戸建て・休日はゴルフ・子どもには習い事・
専業主婦・行きつけのバーを見つける・良い大学からエスカレーター式で良い企業へ
などなど上げていったらキリがないのですが。

で、問題なのは彼らがそのロールモデルの先が
イコール「正解」という価値観になっているのです。
だから「クラウンにも乗れない奴は貧乏で甲斐性も無く
貧乏臭い車から家族が出てくるのを見たら情けない旦那に見える」
とか
「この歳でまだ△△やってるのは恥ずかしい結婚してないのは恥ずかしい
 俺くらいの年齢なら○○をやっている。 やってない奴は情けない。」
とか平気で言っちゃうわけです。
あ、これは私の周りに居る40歳くらいの人から聞いた実話。


■旧来のロールモデル

現在、日本の成人が一日に見る記事の量は2000にも及ぶそうです。
通常のニュースサイトから、キュレーションサイトやメルマガ、
まとめブログ、twitterの140文字だって内容によっては記事ですので。
今や小学生でさえ日に400記事は触れるそうです。

一方インターネット、が普及する以前は
一日100記事にも満たなかったそうです。
その多くの情報収集元は、新聞・テレビ・ラジオ・雑誌等。
ご存知?の通り日本の報道はほとんど大本営発表、
要するに都合の悪い部分は隠され、今はこれこれこうしておけばいいんですよと
民衆を扇動する形のショーです。
それでも一昔前はそうして国民全体を一点集中主義にして
とにかく富国強兵を目指したからこそ、敗戦後ここまで急成長できたわけですし
その急成長の波を体感し、「これこそが成長への答えだ!」と皆が
思考よりも体をとにかく動かすことを優先した。
大本営の発表に多くの人が疑問を抱かず、そもそも抱く理由も無く。

で、そういった中で「良い大人とはこうだ!」というロールモデルが
今のおっさん達の中で出来上がっていったわけです。
それはロールモデルが破綻したバブル崩壊後も。

とりわけ体力(金)のある大企業は、外っ面は未だに見栄を張っていて
ロールモデルが一見成立しているようにみえるのですが
その年功序列や終身雇用のおっさん達を支えるための苦労は
全て後発の若い人達へ負担が降りかかっている。
私の妻も名前を出せば大体の人知ってる企業に居るのですが
中身の話を聞くと、「うわぁ…」となります。


■若い人のロールモデルとは?

一日に見る記事量の多さから、そして主にインターネットでの情報収集が
メインになってきていることから分かるとおり
今の若い人はものすごい沢山の価値観にもまれながら成長しています。
つまり、特定の強烈なロールモデルというのが存在しない。
価値観がものすごく多様化しているということになります。
車なんてシェアでいいという一方で、若い頃からレクサスを買う人も居れば
大手電気メーカーを目指す人も居れば、手探りで個人で大ヒット家電を作る人も居る。
レコード会社目指す人が居る一方で、ニコニコ動画で大ブームになるバンドも居る。
そしてそういったことが前例として身近にリアルタイムで発生する世の中になっている。

これは、これまでのロールモデルから逸脱しており
既存のロールモデルを信じていた人達にとっては宇宙人にすら見えてくるわけです。
また、それが成功してしまう世の中がおかしい。
あいつらはズルい、と嫉妬し、押さえつける。
多様化した価値観を認められず、ずっと染み付いてきたロールモデルの中でもがくしかない。
たとえ企業から引退しても、老後のロールモデルが少ないから
皆一様に旅行だ山登りだに向かう。
悲惨なのは、働ききったらもう何もしなくていいやってロールモデルしか無く
実際それを迎えたときに無気力になり、
老衰して死んでしまう、といったところでしょうか。
うちの祖父が割りとその気があったように思います。


■現代の若者を育てたのは既存のロールモデルで育った親や学校

考えてみれば当たり前なのですが
その親が既存のロールモデルを強く信じて子どもに期待すれば
子どもはその価値観と世間の価値観の変化との狭間に挟まれてしまい
行き先を見失ってしまうように思います。
で、レッドオーシャンになりつつあるロールモデルに渋々従い
就職活動で負けてしまい、自尊心も何もかも打ち砕かれて
鬱になったり自分はクズな人間だと自分を追い込む。
若い人達が元気無いといわれるのは矛盾ばかり抱えさせられてきたからなような気も。
なのでそういう人には一刻も早く古い価値観からの脱却を
薦めたいと思ってしまいます。


■ロールモデルに支配されるオジサンと、若い人は別文化の人間

個人的にはこう思います。
んで、オジサンたちはそれで成功してきた自負があるから
若い人の無気力さとかやる気の無さとか、仕事の出来なさとかが許せない。
口に出さないとしても「俺が若い頃はなぁ!」と怒りさえ覚えてしまう。

若い人は何も考えてないわけではないです
価値観が多様化しすぎているので
一つのロールモデルにしがみつくことを必ずしも是としていない。
おっさん達よりよっぽどいろんな事知ってます、今の若い人達は。
それを頭でっかちなだけで何も出来ない、と否定することしか出来ないから
いつまでたっても「若い奴が育たない」とグチるしか出来なくなる。

オジサン達が(必ずしも全ての人がという意味ではなく)若者を利用して
楽しようとしてる魂胆がそのロールモデルには見えているので
若者も単純に大企業の席を利用しようとしてるだけかもしれません。
やる気が無いのではなく、見透かされているだけかもしれません。

なので、ロールモデルを通した価値観ではなく
多様化する世の中にチャンネルを合わせて若い人と向き合わないとダメだと思いますし
若い人はおっさん達がロールモデルに支配されているのをある程度汲んで
遠慮するところや踏み込むところを探っていかないと
ずーっと互いに理解が進まないようにも思います。



■これからの若い人達は多様化した価値観を前提に育ってきている

大学に入ったら大学内部で株式会社を作って
実際の経営や経済を体験するような取り組みを
しているところがあるというのを最近のニュースで見かけました。
こうした動きは今後更に拡大するでしょうから
今の20代と10代でもまた価値観に変動が起こるかもしれません。


■結局変化し続けるしか無い

年齢を重ねるごとに、ロールモデル・常識・価値観というのは
染み付いてくるものらしいので
あえてやるとしたら時代の変化に常に身を任せることでしょうか。
それは受身になるということではなく
常にフットワークの軽さを持つことで
多様な生きるための知恵を身につけるという意味で。

と、これもまた私が描く私のロールモデルにはなるのですけども。


長くなりました。
次は書ければロールモデルと消費についての
関係性を考えてみようと思います。


ビジネス問わず、ありとあらゆる面で
変化に対応することは必要に思います。


いやホント。


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