今の日本は常識に縛り付けられているように思いますし
その常識の中で更に皆が皆、苦しくなるようにルールを上乗せしていっているように感じます。
そうしてルールから外れたら生きれないように自分達を追い詰めているようにも。


"ダメな大人"の授業がもっと増えても良いと思う

ダメだっていう常識の植え付けがなされているのが問題でして
私らの学生の時代(90年代後期)では既に「超真面目でお利口さん」
が"正しい大人"のテンプレでした。
以降も報道バラエティーをはじめとした多くのメディアは自分達の常識の中から見た
利口さの無い人間を激しく叩きのめした。
結局破天荒に次代を切り開きながらも誠実さを貫いた堀江貴文氏が実刑2年半(現在仮出所中)になったり。
ちょっと常識から逸れた人間がとにかくものすごい勢いでぶっ叩かれまくるという光景を
まざまざと見せ付けられてきたので
両さんみたいな生き方をした人間は完全にファンタジーになってしまった。
いやまぁファンタジーなんですけど。

だから真面目にお利口に、例え両手を切り落とされても
「手がある方がおかしい、それが常識なんだから従え。
 従わなければ世間の晒し者にして社会的に殺してやる」
という圧をかけられ続けてきた。

そりゃ少し道を逸れたら死ぬしか考えれなくなる。
その常識の席が少なくなっても、その内輪だけの醜い席の取り合いにしかならない。
真面目系クズなんかは特にそうした競争に弱い人種なので
目の前が真っ暗になってしまう。

でも、ふと見つめなおして欲しい事がありまして
「何のためにその常識が存在しているのか」というのを
本当の根っこの部分まで見つめていただきたいように感じます。

何故自分だけがこんなに苦しい思いをしなければならないのか
と嘆くよりも、何故自分だけが苦しいようになってしまうのか。
常識から逸れたから苦しいのか。
その常識とは何なのか。
常識に対して自分はどう思っているのか。
流されず、自分の意思で逐一答えを出してみてください。

その自分で考え、言葉を発したり行動してみてください。
実は常識なんて単なる都合の良い思考停止ルールだったように思えるはずです。

常識にとらわれるのは思考停止に甘んじているだけです。
自分を脅してくる相手もその相手の常識からモノを言っているだけで
その常識に則っていたらいつまでも相手の思うツボです。
常に論理的に、その事象の真理はどこにあるのか。
この事象に対する常識は本当に理にかなっているのか。

正しさや間違いか、ではなく理にかなっているか。
これが大事です。

一つ一つの事に思考停止し逃げずにどれだけ向き合えるかが
クズの常識思考からの脱却に繋がると思います。

クズは常識から逃げているのではなく
常識を真に受けて、「そんなこと私は出来ない」と怖気づいているだけです。
目の前が真っ白になるのは単純にその常識に自分が合わせられない
どうしようもう何もできない、となってるだけです。
自分で考えた事をしっかり主張すれば良いのです。

それでも出来ないのでしたら
あなたは無いプライドにただ単にすがっているだけです。
「これを言ったら恥ずかしい思いをする」という
意味の無い思考で自分を縛っているだけです。

常識もプライドも、もう捨てましょうよ。




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