■他人のふんどしで相撲とりたがり症候群

人は何かと誰かと比べたがると同時に
自己のアイデンティティを保つために
著名人や有名人との共通性を見つけ
一喜一憂している

別に万人ではなく私のような矮小な人間に顕著に現れる症状だ。

ならばクズがもしかして陥りやすい症状なのではないかと思い
自分を振り返る上で、自身が魔境に陥らないための注意書きとします。


「あの人が言っているから間違いない」
「あの人の紹介なら疑う余地はない」
「あの人が言っているから私も言おう」
「テレビではこう言ってた」 
「雑誌に書いていた」 

これはまことに愚かな考えでございまして
井坂幸太郎原作の漫画「魔王」でも語られていますが
自信の無い人間ほど他人のふんどしで相撲をとろうとする。

凄い人間に触れ合うことや、凄い価値観に出会うほどに
常に問いかけなければならない。
自分の今の感動や高揚、喋りたい言葉などは
本当に自分の中で咀嚼して理解したものなのか。
どこかで、あの人が言っていたから、皆がこう思ってるから
という段階で思考を停止してしまう。

それではいつまでたっても自分自身で何かを考え発信する人間になれない。
虎の威を借りるのは自分を誇大化したいがための欲求にすぎず
それは単に虚像に翻弄されているに過ぎないわけです。

恥ずかしい思いしても何してでもいいから
とにかく自分の意思で思うがままに
世の中に意思を訴えなければならない。

ふんどし探しよりも自信の心身を鍛えていかなければ
ふんどしをひん剥かれた時に本当に何も出来ない人間になってしまう。

とにかく、自分で納得いくまで何でもとにかく咀嚼咀嚼咀嚼。
噛み砕いてみれば、上面にまみれた情報社会や村社会、当たり前と言われている部分の
もう少し根本の構造が見えてくるはずです。




■自分がクズだという無自覚の安心感

自分が底辺位置かもしれないどうしようと悩んでいるうちは
まだまだ無自覚に余裕がある証拠。
クネクネと「いやークズになっちゃったーどうしようー(チラッ」と
自分よりも低い人間・同レベルの人間を見つけて安心感を得ようとしている。
 
どんな烙印を押されようとどんな境遇になろうと常に自分を最底辺に置き
「本当に、今自分は最底辺の人間だから何とかしなくては」とあせる気持ちを持たないと
「弱った自分」を棚に上げて無自覚に、より下を下を求めるようになってしまう。
努力も頑張ることもしなくなる。

私は頑張り否定派ですが
自分の人生を諦めるくらいなら頑張って、もがけと思います。

人生丸投げした頑張りの放棄と
無駄な頑張り作業の放棄は意味合いがまったく異なりますので。




■「誰かが言っていた」を「自分の言葉」にすると責任が生まれる

結局誰かが言った言葉を
「あの人はこう言っていた」
というのは究極の責任逃れ。

これを続けていると自分の一言一言の言葉に
責任を持てないような情け無い人間に。
自分が良いと思った言葉は「誰かから聞いた」ことであったとしても
自分の言葉として吸収してしまわなければならない。
言ってしまったからにはウソだって塗り替えたり弁明しなきゃならないです。
そうして自分の言葉にどんどん責任が生まれていきます。
その言葉を言った人の意思も自分なりに理解できるようになります。

「誰かが言っていた」を続ければ誰もあなたの話に耳を向けてくれなくなります。
だって別に誰かの言葉を語るのであれば、あなたと話す必要は無いんですから。

インターネットの先生になってしまうと
メリットとしてもデメリットとしても「誰かの意見」を
普段から沢山目に入れてしまいます。

とりわけ尖った意見などは目立ったり叩かれたりしますから
それを恐れて何も出来なくならないように注意が必要です。





■やった気になる・知った気になる症

人生において間違いなく
「やらなかった後悔」よりも「やってみた失敗」に価値があります。


「お前には絶対無理だ」
その価値観は誰が決めたのか。

「やるだけ無駄だよ」
何故言い切れるのか。

世の中には、やってみて出来なかった人間と
やりもしないで否定する人間が居ます。

100%失敗すると分かっている事にチャレンジした時
やらなかった人間には失敗する恐怖もスリルも経験も得られません。
やった人間は恐怖もスリルも経験できます。

やらない否定とやった失敗の価値は雲泥の差です。

いつまでも保守的で安定を求めている人間は
その保守の価値観が崩れた時
何も経験してこなかったことになります。

残念ながらやらない否定派が多いのが実情です。
さて、このエントリを読んだあなたも
やらない否定派に染まったままでいいのでしょうか。

一生何も踏み出せないまま
クズの烙印を押されて
何もしていない人達にせせら笑われていていいのでしょうか。

私は笑われてもいいので
とにかく皆が拒絶するものに飛び込んでみたいと思います。
つまらない否定ばかりの世界の中で、私の人生が面白くなるように。 



もちろん人間としての常識をわきまえた上ですけど。