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商品企画の上で売れるコンセプトとかを考えた時に
一番何が購入衝動に訴えかけられるのだろうか
というのを考えておりまして、その一つの方向性に対する考えのまとめです。
何も商品に限らず、広告制作や小説プロットを書くときなど
多岐にわたって必要な価値観かと考えています。



■大義名分を得ることによる悪を打ちのめす開放欲求
わが国では古くから水戸黄門、最近ですとワンピースが熱烈な支持を受けています。
理由は大義名分を元に、敵を屈服させるという内容。
要するに大義名分を掲げることで、暴力を正当化するといった具合に
倫理の壁を突破するわけですね。

半沢直樹も、上司や上層部のわかり易い悪に対しての
気持ち良いまでの攻撃が見られたからこそ皆楽しんだのでしょう。
話題になっているから、というのはそれについてきた単なる付加価値です。
あのドラマがうまいのは、更なる敵が居るというのを
毎回終盤で畳み掛けて表現しているから良いのでしょう。
半沢直樹はサラリーマン版水戸黄門ではないかと考えます。

現実に振り返りますと
例えばいじめが発覚した学校の教員や子供に対して
予算繰りが上手くいかず様々な問題が発生した北国の鉄道して
twitterでバカな画像を上げたバイトに対して
そうした世の中に対する「悪」を露呈した彼らに対する
すさまじいまでのバッシングでしょうか。

こうした行動原理に行き着く先というのは
倫理に押さえ込まれた、本能への開放意思と考えます。


■倫理とのギリギリの駆け引きから生じる快感への欲求
一夜限りの不倫に何故燃えるかといえば
その倫理を突破する欲求から生じる快楽を求めるための行動であり
不倫という記号はその欲求を体言しやすいだけですから
不倫よりも刺激的に倫理を突破できるもの
ようするに殺人などに手を染め快楽を覚えれば
そちらにのめりこむようになるわけです。

人間はそうした、倫理を常に犯す機会をうかがっている動物でありながら
なんとか日々羊の皮をかぶって生きています。
そうしないと生きていけないようなルール付けが社会に整備されているので。


■大義名分をかざす商売
PCウイルス遠隔操作事件の犯人の晒し上げであったり
特定趣向の人種に対する痛烈な批判で世論を誘導したり
予算繰りが厳しい北国の鉄道を総批判したり
漢字を読み間違えたかつての首相を笑いものにしたり
成り上がりのIT企業社長へ巧みに悪いイメージを植えつけたり
そうした彼らに適切に何らかの罰が下されるまでを演出するのが報道バラエティです。
単なる報道と、報道バラエティの違いはここです。
また、週刊誌なども悪を生み出し大義名分を元に芸能人などを批判したりしてますね。
そして、これら媒体を通じて少なくとも、上記のような彼らの謝罪会見や
逮捕された姿をみて満足感を得る人も居るはずです。


■倫理と悪と快楽
私たちは常に、あまりよろしくない欲求
怒り、憎しみ、暴力、悲しみ、疎外感、不幸などを消化させられるようなツールを
与えられたり、望んで手に入れています。
その欲求を解消させるものが売れる、必要になるものです。


■倫理とゲーム
私はゲームが好きなので、もっと別の観点から。
ゲームにもよく倫理に踏み込んだ作品が多いですが
グランドセフトオート(以下GTA※1)の日本では龍が如く※2と言われることがありますが
まったく趣旨が違うものと考えます。
GTAはいわば倫理からの開放を体現するツールであり
龍が如くは水戸黄門で、ようするに悪を挫く
ヤクザ(倫理から外れた人間という記号)の物語の追体験。

全世界では、倫理から開放されるGTAシリーズは
2012年11月時点で、全世界でシリーズ累計1億2500万本の売り上げらしく(wiki参照)
その欲求を能動的に果たしたい人がどれだけ多いのかが分かります。
一方龍が如くも全世界累計600万本と、かなりの数字を上げているようです。
日本語の障壁などもあるでしょうけど、それでも
倫理を犯す体験が出来るか、物語の追体験を得られるのか
という2つのツールとして比較すると考えると
前者を要望する人が多いように感じます。


■悪を大義名分で裁いた気になれるツール
また現実に視点を戻しまして。
現在twitterでバカをやった人々を2chやtwitter等で袋叩きにするのは
大義名分と匿名性という二つの安全装置を手に入れた、
倫理欲求としての発散の延長であるように感じます。


■いじめと欲求について
学校というカーストで、空気という安全装置を背負って
一人相手に集団で暴力等のいじめを行うのもまた
原始的な欲求を満たす行為のように思います。
twitterでの袋叩きは安全装置二つ持ってる分ゲスいですね。
自分の手は汚れないわけですから。


■これら欲求が求めるサービスとは
さて、これまで書いてきたことから
人間の消費欲求の中の大きな一つとして
倫理を犯す、踏みにじる、事に対する快楽というものが上げられます。
サービスや商品、デザインなどを作る時は、そうした欲求に対する開放という
大義名分をユーザーが得られるようなシステムを考えると良いですね。
facebookはストーカー+SNSという画期的な欲求解消サービスのように思います。


■悪があるからこそ生まれるサービス
また、この事により悪が生まれる事が商売につながるという発想もできます。
PCウイルスが生まれれば、PCセキュリティソフトが必要になります。
粗悪品が生まれれば、優良品が必要になります。
暴力に悩まされれば、用心棒が必要になるかもしれません。
タバコを悪にすれば、禁煙習慣の仕方やパイポが重宝されます。
デブを悪にすれば、ダイエットが正義になります。
肉の油分を悪にすれば、魚や野菜を正義に対比させられます。
新車を批判すれば、中古車が売れます。


金儲けが悪だと批判すれば、庶民を味方に節約やエコなどを訴えられます。


悪を意図的に生み出す事で、大義名分を商品に与えられます。


■悪や、倫理に対する欲求の本質を見つめることが商売の正体
悪に対する 興味・批判・開放等々そうした欲求を
時代に合わせて生み出す事が、商売に関する一つの回答なのかと思います。


■ところでまんまとダマされてないか
最後にブログの趣旨としてのお話。

クズから脱出したい
真面目系クズを治したい
真面目系クズの改善方法
クズ=悪という記号を作り
そうした自分から開放されるために
せっせとセミナーに通ったり病院に行ってみたりしてないでしょうか。
もしかしたら印象操作として生み出された悪というカテゴライズにハマって
悪を生み出した人々の思うツボになっていないでしょうか。
お金をむしりとられていないでしょうか。 

もしそうして困窮しているようであれば他人の価値観などに惑わされず
自分が本心で何者でありたいのか どうしたら幸せになれるのか。
と、まずは自分自身を知り尽くす事をオススメいたします。