今週のマガジンでの読みきり作が非常に話題になっていたので
生涯初のマガジンを購読してみました。

簡単なあらすじとしては
小学校のあるクラスに聾唖者(耳が聞こえない人)の女の子が転校してきて
最初はなんとか打ち解けようとするも
あるきっかけから彼女はいじめの対象となり
そしてついに転校してしまう

というのをクラスメイトのいじめ主犯の男子の視点から描かれるもの。


読んでみた感想としては
聾唖者の彼女は61Pという制約の中で単純に
いじめという現象を発生させやすい題材として使われているだけで
この漫画の本質は、いじめのエグさと周囲の大人や子供が何を考え行動するかを記号化させ
風景として描写したものだと感じました。
実際聾唖者を扱ったことよりもそちらの反応が多いみたいですね。 

いじめの恐ろしいところは
いじめの主犯格になることで、自身がいじめの対象になるリスクを背負う事。
いじめで最も悪なのは第三者。
いじめが始まることで彼らは対象者をいじめる。 主犯格に同調する形で。
いじめが発覚しても、彼らは掌を返し、主犯格をつるし上げる。

そして彼らは主犯格を今度はいじめはじめる。
新たな主犯格を祭り上げて。
そうしていじめは連鎖する。

主犯と被害者を除く多くの第三者はこの問題に何のけじめもつけず
いけしゃあしゃあと残りの人生を追謳歌する。
「私達はまじめに生きてきました」と胸を張って。
この漫画で周囲のクラスメイトも先生にも何らカタルシス的な罰が与えられないのは
それを暗に表現しているのでしょう。
多くの人が胸糞悪く感じている鬱憤こそが作者の伝えたい事だったのではないかと。
 
そして被害者と主犯格に祭り上げられた人間だけが
深い傷を負いながら残りの人生を歩むわけです。

私達はこんだけ知識を得てもなおいじめを根絶することは出来ない。
恥も理性も持っているのに、それでも他者や弱者を根絶したいという本能を抑えられない。

だから大人に出来ることは、もっといじめのむごたらしさを発信し続けることであり
いじめの現実を子供達に見せることだと思います。

いじめは酷いことではなく、
簡単に優越感や快楽を得られる人間の本能から来る行動であるということ。
そしてそんな事に対して快楽を得ている事が愚かな事であるということ。
こんな大事な漫画を、大人が「少年漫画に載せることは問題かもしれない」
なんて言ってる事が異常です。

人間はものすごく汚くて醜い存在なんだよって伝えるべきです。
せめてどこまで醜く落ちぶれないようにするかを
経験や文献、歴史を通して考えなければいけない。 
だから「少年」マガジンがこの漫画を載せた事は大変重要な事だと思うし賞賛したいです。
こうした題材がマイノリティな漫画ではなく、もっと多くに受け入れられていくようにしてほしいです。
情報操作がお得意な方々に。

そうしたら昨今の異常な報道などにも惑わされる人が少なくなるんじゃないかなぁ。


繰り返し。
いじめで最も醜悪なのは自らの手を汚さず傍観している第三者です。
そして私達の日常はその傍観者によって制御されてます。
彼らの保身にがんじがらめにされた日常を強制させらているのです。
私達はもっとその事実について深く考えていくべきです。


と、数ヶ月ぶりの生存報告でした。